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カルマ【ガイ・セシル】

01.「期待しているんだ」

幼い頃、いつも一緒に居た女の子がいた。

俺よりひとつしたの、よく笑う子で、よく泣く子だった。

酷い雨の日、屋敷の前に置き去りにされていたその子は金色の髪と青緑色の瞳を持ち、幼い俺から見てもどこか自分に似ていた。
あの忌まわしいホド戦争のあとから行方が知れない。
彼女の名前は消えた記憶と共に頭のどこかに眠って、思い出すことができない。
きっと生きている、そんな虚しい想いを抱きながらあれからもう、16年も時が過ぎていた。

***

「フィーネ? フィーネ!」

謁見の間から戻るなり、ナタリアは彼女専属の世話役を呼んだ。

「ナナナ、ナタリア様、どうかなさいましたか?」

ベッドの傍に置かれた花に水をやっていたメイド――フィーネは、慌てて自分の 主人の傍に寄る。
然してナタリアに近づくと顔を真っ赤に染めた。
そんな彼女に憶することなく、ナタリアは箱に入れられた愛用の弓矢を取り出し ながら、フィーネに笑顔を浮かべた。

「旅に出ますわよ。あなたも準備なさい」
「えええぇっ」

思いもよらなかった言葉に、フィーネは目を丸くする。
然している間に、主のナタリアの支度は着々と進んでいく。

「私、知ってるんですのよ。貴方、こっそりルークの師匠(せんせい) から剣を教わっている でしょう? それに、よくガイやルークの剣術の稽古も眺めていらしたわね」
「そ、それは…」

フィーネはそのまま口ごもる。
窓から差し込んでくる日の光にフィーネの金色の髪が揺れた。

「急いで支度なさい。私も必要なものを持ってきますわ。それまでにすぐに発て るようにしておくのですよ。ルーク達より先に城を出なくてはなりませんわ」

そう言ってナタリアは慌ただしく扉を閉める。
コツコツと彼女が廊下を歩く音が部屋の中まで聞こえてきた。
残されたフィーネはそっと頭の飾りを取る。

「……ルーク様…それなら、あの方もまた…」

彼女は青とも緑ともとれるその瞳を瞼でそっと隠した。

***

「ナタリア?! それにフィーネ!!」

ルークの声が廃工場に響く。
勝ち誇ったような顔のナタリアに、フィーネはため息をついた。
軽くフィーネの紹介をしたのち、アノコトをバラす、と言うナタリアを連れルークが 何やら耳打ちをするのを気になりながらも、ガイはその様子を不安気に見守る王女の世話役に声をかけた。

「まさかフィーネまで来るとは思ってもみなかったなあ」
「ええぇぇっと、そのっ、これは」

瞬時に顔が赤くなるフィーネに、アニスはニヤニヤと笑顔を浮かべる。
フィーネの予想通りの反応にガイは思わず頬をゆるめた。

「おやおやおや? なーんかメロメロ~ズッキューンなカンジ?」
「ズッキューンですの?! フィーネさん、大丈夫ですの?! ガイさんに何か 撃たれたですの?」

まるで噂話好きのおばさんのようなアニスと、どこか間違った方向に話を理解し てしまったミュウ。
ガイは、はははっと苦笑した。

「最初はそう思うよなあ。でも彼女、俺と似たような体質なんだ」

そして何とも言えない顔をして、ポリポリと頬を掻いた。
アニスは頭を捻りながらフィーネの傍による。
するとフィーネの顔がさっきと同様真っ赤に染まった。

「えええええっとそのっ」

激しく動揺するフィーネを、アニスはマジマジと見つめる。

「ふーん。誰かが近くに居ると真っ赤になっちゃうんだ。かっわいー!」
「ッ!!」

アニスがガバッとフィーネに抱きつく。
瞬間、フィーネは顔を茹で蛸のようにし、身体中から発汗した。

「フィーネさん真っ赤ですの!! 御主人様、大変ですの! フィーネさんがガイさんのメロメロズッキューンのあとまっかっかになっちゃったですの~~!」
「おいおい、なんだそりゃ」
「だーーーッ!! うるせえっつーの、このブタザルっ!! あんなん日常茶飯事だ! ほっとけ!」

普段から青くて白いその顔を更に蒼白にして慌てるミュウに、ナタリアとの話を中断(と言ってもほとんど終わっていたの だが)させられたルークのイライラがにじみ出るような声が飛ぶ。
ガイのツッコミもかき消された。
ティアはといえば、フィーネをまるでチーグルごとく、小動物を見るような目で 彼女を見つめていた。
ジェイドはジェイドで、ひどく関心を持ったようである。

(かっ…かわいい…! なんだか苛めてるみたいだけど)
(ガイより症状は軽いようですねえ。大変苦しそうですが)

それぞれ興味を持ったティアとジェイドはほぼ同時にフィーネに歩み寄る。

「ひっ!」
「ふぇ?」

ガイが周りを制するより先に、すごい早さでフィーネが飛び退く。
思わず手を離してしまったアニスも、ティアたちと一緒に彼女に再び近付いた。
三人が一歩進めばフィーネが一歩さがり、三人がもう一歩進めばフィーネがもう 一歩さがる。
どこかで見た光景だ。

「大人数で近付かれると…怖いんだよな、フィーネ」

ガイの言葉に、フィーネは目に涙を浮かべてコクコクと頷く。
その怖さが分かる唯一の人物のガイは、自身が女性に近付かれる様を想像し、身 を震えさせた。

「フィーネは対人恐怖症なんですの。1対1ならまだ大丈夫なのだけど」

様子を見ていたナタリアが口を挟んだ。
一行は角のほうでガタガタと震える彼女とガイとを交互に見やる。
そしてため息をついた。

「なんだよ…」

肩身が狭そうにガイは苦笑する。
楽しいけれど、少し気を使う旅になりそうだ。

「ところで、フィーネ。あなたは一体どんな戦闘方法なんです? 剣を持っているあたり、やはり剣術ですか」

上から下までをマジマジと見て、ジェイドが言う。
その仕草にドギマギしながらフィーネは何度も頷き、腰に浸けている剣のさやを 持ち、自信無さそうに笑う。

「い、一応、ウ゛ァン様に稽古は付けて頂きました。そ、それにガイ様とルーク様の剣を 見よう見まねで」
「ふーん。見よう見まねでできりゃ誰も苦労しねえよな」

ルーク!、とティアが窘める。
そうですよね、とまたフィーネは笑った。
その彼女の髪と深い緑の瞳をジェイドは興味深げに見つめる。

(似ている…。いや、しかし……)

モヤモヤとした気持ちがジェイドに広がる。
けれど彼が結論をつける前に、フィーネの瞳は今までの彼女とは違う鋭い視線に 変わった。

「……何か来ます!!」

言うより早く全員戦闘体勢に入る。
旅慣れたせいかみな、敵の気配に敏感になってきている。
かん高い鳴き声と共に、タールの塊のような物体が目の前に現れた。

「ッ!!」

飛び出したのは2つの金色の髪。
ガイとフィーネだった。
あまりにも同時に、あまりにも似た動きに残りのパーティは敵の前だというのに 身体が止まる。
二人は敵をお互いで挟み込んだ。
同等の間合い、同等の気迫。
同等のスピード。
ガイは一瞬、鏡を見ているかのような錯覚に陥った。
けれど今はそんなことは気にしていられない。
このままフィーネと共に切り込めば勝利は確実だ。

「「弧月閃ッッ!!!」」

二人の声が木霊した。

***

同時に、二人の剣が鞘に戻る。
ガイは驚いた目で今しがた共に切り込んだフィーネを見つめた。
パーティ全員、何が起こったのかわからないというような表情を浮かべている。

「フィーネ…あなた…」

ナタリアの声にフィーネは恥ずかしそうに目を細める。

「見よう見まね…です」

そういうとフィーネは剣を腰に納めた。

***

ジリッと胸が軋むような気がした。
昼間降った雨はすっかり止み、空には星が瞬いている。
ガイはたき火の回りで眠る皆を見たあと、隣りで寝息をたてるフィーネを見つめ た。

あのとき。

二人で敵を倒したあのとき。
同じスピード、同じ間合い。
それに盾を使わない自分と同じ流儀。
ルークのアルバート流ならまだしも、代々口で伝えられるガイの流派は見よう見 まねで身に付けられるものではない。
ウ゛ァンに教えてもらっていたものも当然、ルークと同じアルバート流だろう。
彼女が剣を持っているところなど見たことがないから、仕事の合間に本当にこっ そり稽古を付けてもらっていたのだろうか。

(フィーネ…君は一体……)

夜風がフィーネの頬を滑り、自分と同じ色をした髪を揺らした。
彼女の寝顔にふと、幼いときの記憶が脳裏をよぎった。
穴の空いた記憶と共に頭から消えてしまった大切だった人の名前。
おぼろ気に思い出すその顔に胸がズキリと痛む。

「そう……なのかな。まさか…君が」

思いついたことをすぐに頭のなかで打ち消した。

違う……そんなはずない。
そんな都合のよい話があってたまるか。
もしそうなら、何故彼女ははなさない?

ガイは空を見上げ、星を仰ぎ思い出す。

「それでも……期待しているんだ。心のどこかで」

ぼんやりとしか思い出せない、自分によく似た少女のことを。

02.「一生の頼みが…ある」

アクゼリュスへの道は険しかった。
急勾配が続く道に、強い魔物。
気の短いルークですら、文句を言う気力もない。

ジェイドはアクゼリュスのことやルークとあの彼と全く同じ顔をした鮮血のアッシュについて考えながら、ふとガイとフィーネのことを思いついた。

フィーネとは、バチカルでナタリアの世話役をしていたメイドである。
アクゼリュス復興の旅に参戦するため、ナタリアが連れてきた、金色の髪に青緑の瞳をした女の子だ。
年はといえばどうやら19、20くらいのようで、何も喋らなければ年相応の落ち着きも見える。
しかし彼女には唯一の弱点がある。
対人恐怖症だ。
1対1のときは、赤面するくらいで済むが集団で近づくとガイの女性恐怖症のような症状が出る。
それはやはり彼女の過去に関することが原因なのではとジェイドは考えている。
彼女がその原因となった出来事を覚えているのか、ガイのように記憶が抜け落ちているのかは定かではないが。

(あの2人もよく似ている…。あの素早い身のこなしといい、技や戦闘の 癖まで同じだ)

バチカルの廃工場でフィーネが見せた動きは、ガイとうり二つだった。
フィーネは剣術はヴァンに習い、あとはガイとルークの稽古を見ただけと言うが、本当にそんなことが可能なのだろうか。
フィーネを見れば、恐怖症の為か少し一行から離れ、それでも黙々と歩き続けて いる。
その華奢な身体から、力の強いガイと同じ剣技を使うなど第三者の目からは到底 思えない。

(……レプリカは同位体でなければならない。身長もガイより10センチは離れているし、何よりフィーネは女性だ。被験者 ( オリジナル ) と違う性別になることなど有り得ない)

ジェイドの視線に気づいたフィーネが瞬時に顔を赤くさせた。

「な、ななななんですかジェイドさんっ」
「おっと失礼。いやいやー、美人が頬を染めて熱い吐息をする姿はなかなかそそられるなーと思いまして」

ジェイドはひょうひょうと答え、更にフィーネを追い詰める。
周りからは、大佐セクハラですーだの、ふしだらですわだの、見損ないましただの非難ゴウゴウだ。

「おいおい旦那。あんまりフィーネをいじめるなよ。結構キツいんだぜ」

ガイはそう言うと前を行く苦しそうなイオンに追いつき、彼の背中を支えた。
ジェイドはそうですね、と答えるとガイの後ろ頭を見た。

(……ガイは気づいているのか、それとも…)

ナタリアやルークの接し方から見て、彼女もおそらく長い間城に居たはずだ。
自分と自分の兄弟が似ているかどうかが当事者にはわからないように、共に長い年月 を過ごしてきた彼らは気づいて居ないのかもしれない。

(只の思い過ごしなんですかねえ)

レプリカとはもしかしたら何の関係もないのかもしれない。
と、ジェイドは思い直した。

(彼女がレプリカなら、フィーネは男でなくてはならないのですから)

その時、目の前のイオンが急に膝を付く。
そこでジェイドの考えは必然的にストップした。

***

『フィーネ。お前に一生の頼みが…ある』
『なんですか、はくしゃくさま』

ガルディオス家に拾われてから1年が過ぎたある日、幼いフィーネはその家の主で あるガルディオス伯爵の部屋に呼ばれた。
伯爵はフィーネを膝に乗せ、金色の彼女の髪を撫でながらゆっくりと話し始めた 。

『我が息子…ガイラルディアのことは好きかね?』
『はい!』

目をキラキラさせて答える彼女に伯爵は嬉しそうに目を細める。
窓の外から、元気よく走り回るガイラルディアと姉のマリィベルの声が聞こえた。

『ならば、お前にガイラルディアを守って欲しい。ガイラルディアの影となり』
『がいあるでぃやさまの……かげ?』

少年の名前を言うのもたどたどしい、幼い少女の頭を撫で、伯爵は頷いた。
そして言ったのだ。
ガイラルディアが立派に成長し、ガルディオス家を継ぐことになったとき。
彼を守り、時には彼の身代りとなりガルディオス家を存続させて欲しいと。

----------天が嘆き悲しむとき、汝に似た金色の髪と碧(みどり) の瞳をした少女、マルクトの小さな島に 現れる。
その子、汝の影となりて一生を共に生きるであろう。

それがガイラルディアの3歳のときの預言 ( スコア ) だった。

そのときもはっきりと返事をしたことをフィーネは覚えている。
預言 ( スコア ) がどれだけ大切なのかもマリィベルや屋敷のメイド、そして使用人のウ゛ァンデ スデルカに教えられていたし、何より甘えん坊で泣き虫だけど、困ったときにい つでも助けてくれるガイラルディアのことが大好きだった。
大好きなガイラルディアとずっとずっと一緒に居られるのならと、ガルディオス 伯爵と約束を交したのだった。

次の日から剣術を始めた。
ガイラルディアの癖や仕草も覚えるようにした 。
全ては将来、彼を守りずっと一緒に居るため。
けれどそのすぐあと、ガイラルディアの5歳の誕生日。
あの地獄のようなホド戦争が勃発する。

***

目の前の惨劇はまるでホドを見ているようだった。
ティアの譜歌で一行は生き残ったものの、アクゼリュスの民を守ることができな かった。

『あねうえーーッ!!!!』

遠い記憶がフィーネのなかで蘇る。
頭に残る彼の声。
残酷な出来事。
大勢の人間に囲まれ、振り下ろされた剣。
ヂリッと身体が熱くなるような気がした。

タルタロスの中は重い空気が流れた。
ルークの無神経な言葉や身を守るための下らない言い訳に誰もがイライラした。
けれど、フィーネには彼を憎むことがどうしてもできなかった。
タルタロスの一室の部屋の隅で、フィーネは膝を抱えて震えていた。
ルークがどんな気持ちでアクゼリュスを崩落させてしまったのかはしれない。
けれど、今の全てに責任転嫁をしてしまいたくなる彼の気持ちはわかるような気がした。

「……守るって…約束したのに……」

16年前のあの日、振り上げられた剣に何の抵抗も出来ず、胸から腰に渡るほどの 傷をおった。
いや、あの時は小さな子供だったから、剣を振るった人間にとっては容易いことだったの だろう。
今もその傷跡は痛々しく残り、彼女の白い肌に生々しく浮いている。
夥しい出血に気を失ってしまい、気付けば周りは血の海になっていた。
傷の痛みよりも恐ろしさでボロボロ涙を流した。
どこにも居ない彼を、身体を引きずりながら探した。
目に入るのは暖かった人たちの、物を言わない身体ばかり。
血の溢れかえるホドの島で、彼を見つけることはできなかった。

何度も彼の名前を呼んだ。
地べたに這いつくばって泣き叫んだ。
何故自分が生き残っているのだろうと思った。

自分を拾ってくれた人との約束を、大好きだったガイラルディアを守れなかったのだと思った。

あのときと同じだ。
結局自分は、人は、無力なのか。

気づけば涙で顔が濡れていた。
ゴシゴシと顔を擦る。
過去ばかりを気にしていられないと、前に言っていたのはガイだったかルークだったか。
過去は気にしてられない。
けれど過去は受け止めねばならない。
自分でそれが出来ているのかはわからない。
けれど、自分で自分のしたことを見つめ直すことはとても重要なことだと思うから。

タルタロスが揺れる。
もうすぐユリアシティに到着するらしい。

03.「どうして…涙が出るんだろ」

「『ガイ様』なんて呼ばなくていいんだぜ。俺は君と同じ只の使用人だ」

泥の海と障気に包まれた空を見上げて、ガイはフィーネに言った。
ティアの部屋から続く白い花畑に、ガイとフィーネは二人で立っていた。
バチカルに居たときから気になってはいたのだが、フィーネはガイのことを必ず 『様』と敬称して呼ぶ。
屋敷のメイドや城の皆には彼女以外彼をそう呼ぶ者は居ない。

「そっそんなっ! え、えーとつい癖で!」
「癖? ナタリアやルークにはもうつけちゃ居ないだろう?」

問いつめられて一層フィーネはしどろもどろになる。
かといって貴方が私の主君だから、と言っても立場が危うくなるだけだ。

フィーネはかつてマルクト領の島、ホドを統治するガルディオス伯爵家に拾われ 、伯爵に彼の長男の3歳の誕生預言通り、ガイラルディアの影となり一生を生きる ことを誓った。
彼女にとってガイは生涯の主なのだ。

勿論、現在の主であるナタリアにも彼女は深い忠誠を誓っており敬称をつけたいのだが、 それはナタリアが許さなかった。
と言うより、敬称をつけないほうが返って王女の身の安全を確約できる。

それに、ガイはフィーネのことを思い出していないのだ。

フィーネは彼の記憶を無理矢理思い起こさせることはしたくなかった。
家族が殺されたときの記憶などむしろ覚えて居ないほうがいい。
伯爵様が、奥方様が、マリィ姉様が、メイド達が。
身の気のよだつ思いが一瞬、フィーネの胸のうちによぎった。
真っ赤な顔でどう言おうか思案した風なあと、瞳をふせてしまった彼女にガイは頬 を緩ませると、再び暗い空を見た。

「まぁいいさ。可愛いお嬢さんにそう言われるのも悪くないしな」

なんだかジェイドみたいだな、とガイは笑った。
普通ならドキッとするような台詞も、今はただ流れるように聞こえる。
彼が無理して笑っていることをフィーネは知っている。

当然だ。

アクゼリュスのことを思えば、ルークのことを思えば、笑って居られる筈がない 。
ガイの腕だって震えている。
無理して笑ったあと、一層苦しそうにしている。

もっと近付けたら。
お互い寄り添って肩を抱き合えたらどんなにいいだろうとフィーネは思った。

一方通行の想いと、ガイの女性恐怖症、自分の対人恐怖症。

3つの障壁はいつ崩れるのか知れない。
今はただ立っていることしか出来ない。
言葉では上辺しか伝わらない。
虚しさがフィーネの心に渦巻いた。

「……フィーネ、大丈夫か?」

言われて思わず、自分より背の高いガイを見る。

「涙が出てる」

彼が伸ばした手はフィーネに届く前に震え、彼女もビクリと体を震わせた。
すぐに彼は手を引っ込める。
ガイは唇を噛み、申し訳なさそうに彼女を見た。

「ごめん…。拭ってあげられなくて」

フィーネは首をふり、人差し指で涙を拭った。

「いいんです。…私もごめんなさい。どうして…涙が出るんだろ。もう出しつく したと思ったのに」

不自然な笑顔を作って止めようとしても次から次へと溢れてくる。
アクゼリュスのことや過去のこと、そしてガイへの想いがごちゃごちゃになり、フィ ーネの頬を涙となって濡らした。

「……全部流せよ。俺…何も出来ないけど、ここに居るから」

血だらけになって地面に突っ伏して泣いたあの日から、泣くのはいつもひとりだ った。
声をあげて泣いても、ただ空が虚しく吸い込むだけだった。
貴方がこの場に居るだけでなんでこんなに安心出来るんだろう。
お互い触れられなくても、ちゃんと人は支えられる。

けれど、彼女を抱き締められたらとガイは思った。
そうできたらもっと気持ちが落ち着くだろうに。

そう思った自分に少し驚きながら、ガイはフィーネが泣きやむまでずっとその場 所に居た。

タルタロスをセフィロトツリーを使って外郭まで浮上させる -------------

そんな驚くべ き発案が出たのは、フィーネが落ち着いてからすぐだった。
ルークを置いていくことに少し不安を抱いていたフィーネだったが、ナタリアと ガイがタルタロスに乗ると言うのでそちらに加わることにした。

『アッシュ』という人物に、フィーネはなかなか近付けないでいる。
仲間ですら近くに行くのは怖いのに、ほぼ初対面の彼に接触しろというのはフィ ーネにとって無理難題極まりなかった。
いや、ジェイドやティアやアニス、そしてミュウに会ったときはこれほどの恐怖 は感じていなかったので、原因はおそらくアッシュの独特の雰囲気にある。
淡々と、そしてぶっきらぼうに話すアッシュはどこか他人を寄せ付けまいとする 空気を持っているような感じがした。

ナタリアの近くに居たフィーネを一瞥したアッシュに、

「なんだお前は」

と言われたときは、生きた心地がしなかった。
蛇に睨まれたカエルのように只パクパクと口を動かすのが精一杯だったのである 。
彼から出来る限り遠くの位置に身を置くことにした。
それでも冷汗が止まることはなかったが。

***

ホドが戦争によって滅びたあと、フィーネは一時シェリダンに居た。
そこまでの経緯はフィーネ自身もよく覚えていない。
マルクト領土であったホドから戦争の真っ只中、キムラスカ領土であるシェリダ ンに行き着くことは非常に困難だったのだろうが。

ここでフィーネは基本的な音機関技術を身に付けた。
職人たちで溢れるこの街で自然と知識が頭に入ってきたのだろう。
活気に満ちたこの街のことがフィーネは大好きだった。
恐怖症のことも周りは皆理解してくれ、その暖かいひと達に囲まれたからこそ、 彼女は少し抵抗があるものの誰かに触れ、極少人数ずつならば会話が出来るとこ ろまで回復した。

然してフィーネは、ガイラルディアの行方を探しながらここで10年間を過ごす。

キムラスカの城で王女の世話役を欲しているという噂を聞いた。
職人の街、シェリダンではマルクト・キムラスカ両国の軍事品も扱っているため 、それぞれの噂が飛び交うのだが、ホドの生き残りに関する情報は得られなかっ た。
キムラスカの王城ならばきっとここ以上の収穫があるのではとフィーネは考えた のだ。

「本当に大丈夫かい、フィーネ」

心配そうに話しかけるタマラにフィーネはにこりと笑って返す。
笑顔を浮かべることができるようになったのも最近のことだ。

「ありがとう、タマラさん。本当にお世話になりました」

まだあどけなさの残る14歳の少女はその金色の髪を風に揺らして、また旅に出る。

04.「追わなくていいのか…行かせていいのか」

「あんたはフォミクリーの生みの親じゃ! 何十体ものレプリカを作ったじゃろ う!」

空を滑るように声が流れていく。
目の前にいる老技師と、ジェイド・カーティスの会話をフィーネは素直に受け取 ることが出来ず、言葉を胸のうちで反芻していた。

--------音機関都市、ベルケンド。

もし今が一刻を争う事態でなくて、一行に流れる雰囲気が険悪なものでなかった ら、フィーネは目を輝かせて街を散策しただろう。
音機関の美しさ、機能性。
それは陶酔してしまうほど素敵なものだからだ。
けれど今はそれをゆっくりと見ている暇などない。
そのことは目の前で行われている信じがたい会話でも見て取れるだろう。

スピノザとジェイドの話に、フィーネは混乱していた。
レプリカを、その原理を作り出したのが今まで共に戦ってきたジェイドであるこ と。
それだけでも信じがたいことなのに、ウ゛ァンの保管計画。

……あの人は一体何をしようとしているのだろう。
…………レプリカを使って…。

バチカルでフィーネに笑いかけたウ゛ァンの顔が今、彼女の脳裏に蘇る。
あの穏やかな笑顔の下で、彼は何を頭に巡らしていたのだろうか。

耐えられず、視線を泳がすと自分より少し前に立っているガイが目に入る。
口をつぐんだまま、眉間に深い皺を寄せてスピノザを、いやアッシュを見ていた 。
いつも穏やかで場の雰囲気を和やかにしているガイとは思えないほど厳しい表情 。
ゾクリと背中が震え、下を向く。
ピリピリとした空気に息苦しさを感じた。

『何十体ものレプリカ』

その言葉が頭のなかに木霊する。
何十体ものレプリカを、ジェイドはどうしたのだろうか。
ふいにそんなことを思った。

「出ていってくれ!」

スピノザの放った声にフィーネはハッとした。
アッシュが何度説明を請うても彼は頑として答えない。
結局、ウ゛ァンの保管計画についてスピノザからこれ以上話を聞くことはできな かった。

レプリカ、という存在。
人が造り出した、『ひと』という存在。
それを使って、ウ゛ァン謡将は何をしようとしているんだろう。

フィーネの頭は混乱する一方だった。

あの人は私に来てほしいと言った。
そうすれば、彼の傍にずっといられると――――

「……お喋りはそれくらいにしろ。行くぞ」

いけない、とフィーネは頭を左右に振り、今あることに集中しようとした。
確かこれから、ラーデシア大陸にあるワイヨン鏡窟に行くと話していた筈だ。

「俺は降りるぜ」

突然のガイの言葉に、一行は驚いて動きを止めた。

「…どう…して…」

フィーネの口からかすれた声が出る。
長く喋っていなかったからだろうか。
それとも思いもかけなかったことだったからだろうか。

ルークを迎えに行くのだと、自分の親友はあの『馬鹿』なルークなのだと、ガイ ははっきりと言った。

ガイとルークの間には知り合ってからの長い年月と、思い出と、築き上げた信頼 がある。
崩れさった筈の信頼の上で、ルークなら立ち直れると言いきったガイの瞳はまっ すぐだった。

ズキリとフィーネの胸は軋み、息苦しさを覚えた。
何故自分の体がそうなったのか、わからない。
ただただ苦しくて、フィーネは顔を歪ませた。
……自分はどうすればいいのだろうか。
ガイはこれから一人で向かうつもりなのだろう。
彼がかなりの戦力の持ち主だということはこれまでで十分わかっている。
稽古以上に素早く、そして力強く戦うのだということを。
そして自分は彼にはまだまだ追い付けない。
それが歯がゆい。
守らなくてはいけないのに。
いつかガイの代わりに命を投げ出さねばならないときもくるかもしれないのに。

……今は、違う。
ナタリアがいる。
彼女の世話をするようになってから、主としてだけではなく、とても憧れる女性 だ。
国のために、国民の為に何をすべきかということを第一に考え自ら行動する。
強さと気高さと、優しさ。
それだけでは言い尽せないほどの素養が彼女の中で生きている。
ガイを捜す手がかりを求め、ナタリアの世話役となったフィーネも、彼女の人間 としての魅力にいつしか尊敬と憧れを抱いていた。
彼女を失ってはいけない。
いや、失いたくはない。
マスターランクの弓の腕を持つナタリアも、その身分を明かさないにせよキムラ スカ・ランバルディア王国の王女なのだ。
……例えそんな肩書がなくとも。
自分が居なくて誰が彼女を守る?
守りたい。
失いたくない。
……どちらも。
でも、私は――――

彼を追わなくていいのか…。
本当に行かせていいのか。

「…ははっ。なんて顔してるんだフィーネ」
「えっ」

フィーネの曇った表情を見たガイが笑顔を浮かべた。
まさか声をかけられると思ってなかったフィーネは、驚いてガイを見る。

「大丈夫さ。ルークを連れてすぐに合流する」

スッと胸の重みが降りた気がした。
ああ、これだけ。
彼のたった一言だけで自分は安心してしまう。
ガイはきっとルークを連れて、無事に戻ってくる。

「どうか……お気を付けて」

やっと言えたその言葉にガイは頷くと、それじゃ、とその場を走り出す。
足音を辺りに響かせながら小さくなっていく背中を、フィーネは見つめた。
そんなフィーネへ、アッシュの鋭い瞳が向けられていたことに彼女は気付くはず もなかった。

***

初めて見る、キムラスカ・ランバルディア王国の首都は想像以上に圧倒された。
足元から頭のずっと上までのびる巨大な要塞都市。
港からバチカルを結ぶ天空客車。
どれもこれもが新鮮で、フィーネは目を輝かせた。

「あなたが新しい世話役ですわね」

自分と年はそう変わらずとも気品漂う物腰、顔立ち。
透き通るような白い肌。
これからフィーネの主となるキムラスカ・ランバルディア王女、ナタリア・L・K ・ランバルディアだ。

「フィーネ・トスカと申します。以後、よろしくお願いいたします」

幼い頃、ガイラルディアの姉、マリィベル・ラダン・ガルディオスに教えられた礼儀作法を思い出しながら、フィーネはナタリアに会釈をする。
金色の髪がふわりと揺れた。

「あら…」

突然、ナタリアがフィーネの顔をのぞき込む。
甘い香りがフィーネの鼻をかすめ、気づけば目の前にナタリアの大きな瞳が瞬きしていた。

「ナナナ、ナタリア様?!」

瞬時に顔を赤くさせるフィーネに、ナタリアはごめんなさいと身を引いた。

「あなたは確か…対人恐怖症でしたわね。ふふ、やっぱりどことなく似ていますわ」

華のようにナタリアは笑い、そっとフィーネの手を取る。
ピクリと震えたフィーネに彼女は、大丈夫と言葉を添えた。

「あなたに会わせたい方々がいますの。きっと2人もあなたを気に入りますわ」

そのまま手を引かれ、フィーネは城の横に建つ大きな屋敷へと連れられていった。

「ッ!?」

開かれた屋敷の扉から、まず目に飛び込んできたのは幼い記憶の中にあった蒼い剣だった。
柱に誇るように飾られたその剣には見覚えがある。
ホドの、ガルディオス家で主人が愛剣として使っていたそれであった。
窓から差し込む光に反射してキラキラと輝くそれは、幼い頃見たときとそう変わらないように見える。

どうして…これがここに……?

食い入るように剣を見るフィーネを不思議そうに見た後、ナタリアは飾られた宝剣を見上げる。

「この剣は、私のファブレ公爵がホド戦争のときに討ち取った方の持ち物だったそうよ。…私にはそれくらいしかわからないのですけれど」

ぞくりと、フィーネの身体に悪寒が走った。
ここはもしかして、そう思ったとき頭の中に出来る限り思い出さないようにしていた記憶が掘り起こされる。
体につけられた完治したはずの傷がうずき始めた。

「フィーネ?! 大丈夫ですの? フィーネ!」

うずくまるフィーネにナタリアの声は遠く聞こえた。
今は聞こえないはずの兵士達のたくさんの足音が頭の中に響く。
楽しかったはずの光景が、まるで鏡を割ったかのように無数にひび割れて……

背中に人の手が触れたような感覚がし、フィーネは殺気だった瞳で振り向いた。

「大丈夫だ…落ち着きなさい」

しゃがれた年輩の声。
顔を見る間もなく、フィーネは体を抱きとめられた。
人に抱きしめられて恐怖感がないわけではない。
しかし、そのぬくもりは懐かしい匂いがした。
それに増して、土の匂い。
…この人を、私は知っている。
そんな気持ちになれた。

「ペール!」

ナタリアが言ったその名前にフィーネは目を見開いた。

「ペー…ル…?」

聞き覚えのある名前だ。
どこで聞いたのか。
もうずっと前のことだった気がする。
たしか……

「少し黙っていて下さい」

フィーネが自分に気づいたと察したのか、ナタリアには聞こえないようにペールと呼ばれたこの男は囁いた。
フィーネはこくりと頷き、彼から身を離す。
改めて見たその顔は、少し痩せたような感じもするが確かに以前会ったことのある老人だった。
しかも、それはガルディオス家の屋敷で。

「ナタリア様、私のような者がしゃしゃり出たこと、どうかお許し下さい」

ペールは深々と王女に敬礼すると、ナタリアはいいえと首を振った。

「おかげでフィーネも落ち着いたようですわ。彼女、私の新しい世話役ですのよ」
「これはこれは。私はファブレ公爵様のお屋敷で庭師を務めさせて頂いております、ペールです」

こほん、とすぐそばに立っていたラムダスの咳払いがした。
彼はどうやら、身分の違うナタリアとペールが話すことが気にくわないと思っているようである。
身分に固執すること以外は性格は穏やかで、良い執事なのだが。

「それでは私は御前を失礼します」

ペールは会釈をし、そっとフィーネに耳打ちをした。

「あとで…私の部屋で話をさせて下さい。勿論お一人で。よろしいですかな?」

フィーネは、はいと返事をし、彼に一礼をした。
そして再びナタリアに手を引かれ、屋敷の中庭へと向かったのだった。

ペール。
ペールギュント・サダン・ナイマッハ。
かつて、ガルディオス家の盾と呼ばれた男である。

05.「何も知らないよ」

私と彼の、『本当の』関係。

「……宿をとる」

ベルケンドの入口まで来たとき、一行の先頭に居たアッシュはそう言って、皆の ほうを振り返った。

「あれ?このままワイヨン鏡窟まで行くんじゃないの?」

癖なのかいつものように両手を腰に置き、ツインテールを揺らしながらアニスが 問うた。
アッシュがそのアニスではなくフィーネを睨む。
思わず小さな悲鳴をあげ、体から湧き出る冷汗を感じながら、フィーネはアッシ ュの瞳をただ見返した。

「……気が変わっただけだ」

目をそらせそう言うと、アッシュは宿屋へと引き返し始める。
ジェイドは眼鏡の奥で揺らめく赤い瞳をアッシュに向けたあと、ひとつ息を吐い た。

「まあ良いんじゃないですか。久しぶりに揺れないベッドで落ち着くのも」

その言葉をきっかけに、皆も宿屋へと向かう。

「置いていってしまいますわよ、フィーネ」

ナタリアがそう声をかけるまで、フィーネはその場に固まったままだった。

コンコン、とドアを叩く小さな音。
ベッドに座って、ガイの身を案じていたフィーネは、誰だろうとドアノブに手を かけ扉を開いた。
目に入ったのは深い赤い色した髪。
アッシュがそこに立っていた。

「えっ…あ…えぇ?!」
「邪魔するぞ」

訪ねてくる理由などないはずのアッシュが、硬直するフィーネの横をすり抜けて 部屋へと入る。

「どどどどどうして…」

アッシュは不機嫌そうに腕を組みながら、フィーネが後ろ手でドアを閉め、冷汗 をだらだらと流している様子を見、口を開いた。

「おまえを初めて見たときから気になることがある」

ルークを思い出すその顔立ちは、眉間に皺を寄せたままフィーネの目を一心に見 ていた。
微動だにすることさえ許されないかのような空気がこの一室に流れている。

「おまえは何者だ。ガイと何の関わりがある」
「っ!?」

その一言にフィーネは大きく瞳を見開いた。
どきりと脈打った心臓はそのまま早鐘を打ち続けた。

「その顔も瞳も髪の色も剣さばきも、気味が悪いくらいあいつと同じだな。違う のはガイが男で、おまえが女だということぐらいだ」

アッシュの刺さるようなこの視線は、常々彼女に向けられていたのだろう。
何故気付かなかったのだろうとフィーネは悔いた。
……言えるわけがない。
ガイは恐らく、アッシュ―――誘拐される前のルークにも自身の素性を明かして はいないのだろう。
そして信用してもいない。
レプリカ研究所でのアッシュに向けられた視線を思い出せば一目瞭然だ。
当人にも伝えていない自分の立場を彼にいうことなど出来るはずもない。
フィーネは一層体をこわばらせ、唇を噛んだ。

「答えろ!おまえはガイのレプリカなのか!?」
「………え」

アッシュが声を荒げ、吐いた言葉はフィーネが予想していたのとは全く違うもの だった。

「私が……ガイ様のレプリカ…?」

何故そんなことを言われたのか、フィーネは一瞬、わからなかった。
ぐらりと地が揺れた気がした。
平衡感覚を失ったかのようなそんな錯覚。
右手で自分の額を押さえる。
その手はブルブルと震え、普段よりも遅い速度でフィーネの額へとたどり着いた。

----------天が嘆き悲しむとき、汝に似た金色の髪と碧(みどり) の瞳をした少女、マルクトの小さな島に 現れる。
その子、汝の影となりて一生を共に生きるであろう。

自分が彼に似ている……それはあくまでも血も繋がっていない他人としてだと。
そう、思っていた。
そうだと思いきっていた。
けれど自分にはガルディオス家に至るまでの記憶もない。
もしかして…もしかして……。
………何故、アッシュの一言が此処まで自分をおかしくさせるのか。
それは、心のどこかで彼に似ている自分を自問していたからではないのか。

「……違います。私は……私はガイ様のレプリカじゃ…ない」
「どうしてそんなことが言える。レプリカじゃないと言いきれるような理由 を何か知っているのか!?」
「知りませんっ!……そんなこと……そんなこと知らない。何も……知らないよ 」

頭(こうべ) を垂らし、振り絞るように出した言葉。
アッシュではなく、自分に言い聞かせるように言った言葉。
一歩また一歩と足を踏み出し、ベッドの横に常備品として置かれた鏡の前にたつ 。
鏡の中の自分は今にも流れだしそうな涙を堪え、ここに居る自分を不安そうに見 ている。
金色のその髪、青とも緑ともつかない瞳の色、顔立ち。
同じ。
あの人と同じ。

「………もうやめたらどうですか、アッシュ」

油のきれかけた蝶番が音をたて、ドアが開く。
フィーネは振り返ることなく、鏡の中を見続けている。

「……ジェイドか」

神妙な面持ちでジェイドが部屋に入り、ドアを閉めた。

「彼女はレプリカではありませんよ。レプリカが被験者と異なる性別になること は理論上起こり得ません。もちろん、そんな研究結果なども報告は一切ない」

そしてジェイドは鏡に対峙し続けるフィーネの側に寄る。
けれど彼女は視線を彼に移さなかった。

「残された可能性はたったふたつです。フィーネとガイが血縁者なのか。それと も、ただ単にそっくりな顔をした赤の他人なのか」

そっとジェイドはフィーネの背に手を添えた。
彼女の体はピクリと反応したあと、カタカタと震え出した。
涙を流したのではなく、恐怖症の症状が出たのだろう。
それでもジェイドはその手をすぐに離すことはしなかった。

「……フィーネもアッシュももう休みなさい。明日は早いですよ」

チッと舌打をしたアッシュを連れて、ジェイドが部屋を出ていく。

「……あなたはあなたがやるべきことをやればいいんです、フィーネ」

扉が閉まる前、そう言ったジェイドの言葉がフィーネの耳に届いた。

* *

ファブレ公爵家の中庭に繋がる扉を開くと、そこには小さな広場と言っていい正円が模られたスペースとそれを囲むようにして植えられた花々がまだあどけない少女たちを出迎えた。
青く広がる空と気持ちの良い日差しが、中庭に降り注ぐ。
中央には赤く長い髪を靡かせた少年と、金髪の少年が何かをしている様子だった。
よくよく見てみれば赤い髪の少年は擦り傷いっぱいで、ふらふらになりながらも立ち上がろうとしているようである。

「ルーク! ガイ!」

ナタリアが声をかけると、2人はこちらを向き金髪の少年がにこやかに手を挙げた。

「あっ…」

思わずフィーネは彼を見つめる。
髪型も雰囲気も…身長も変わってはいるが間違いない。

「ガイラル…ディア…様」

思わず口をついて出た名前は、ほとんど息づかいと変わらないほど小さな声で、すぐそばにいたナタリアにも届かなかったようだ。
まさか、情報を得ようとしていたキムラスカで彼に出逢えるとは思ってもみなかった。
しかもこのファブレ公爵邸でなど。
赤髪の少年を立たせて背を支えながら一緒に歩いて来る彼に、何を話そうかとフィーネは緊張し頬を染める。
お久しぶりです、だろうか。
お逢いしたかったです、だろうか。

「ご機嫌いかがですか、ナタリア様」

金髪の彼がナタリアに一礼した。
赤い髪をした少年が訝しげにフィーネを見ていたが、彼女の目はずっと金髪の彼を追っていた。
その彼がふとフィーネに目を移した。
ドキッと心臓が高鳴る。
自分を覚えているだろうか?

「あ、あの…」

やはりそうだ。
ずっと追い求めていた彼。
自分の生涯の主。
最後に見たときから背も伸び、声も低くなった。
それでも顔立ちは変わらない。
自分によく似た、彼。

「君は?」
「え……?」

柔らかい笑顔で彼はフィーネに問いかけた。
……覚えていないのだろうか。
自分のことを忘れてしまったのだろうか。
それでも、名を名乗れば…。

「フィーネ・トスカです。今日よりナタリア様のお世話をさせて頂きます」
「へえ。じゃあ俺と同じだな。俺はガイ・セシル。ルーク坊ちゃんの使用人さ」

特に変わった様子もなくガイは自分の自己紹介をし、そして隣にいたルークの紹介をした。
フィーネのことなど全く知らないかのように。
人違い…なのだろうか。
いや、一人称も変わってしまったがこれは本人だ。
それだけは断言できる。
それは……

「やっぱり!髪だけじゃなく瞳の色も同じですわね!」

ナタリアはそう言い、ガイとフィーネを見比べる。

「ガイ……ふたり…」

たどたどしい言葉でルークが呟く。
ルークがずっとフィーネを見ていたのはガイとフィーネがどこか似ていたからだったのだろうか。

「何言ってんですか、ルーク坊ちゃん。俺なんかと一緒にされちゃ、この子も困りますって」

そう言ってガイは、一定の距離を取りながらフィーネをのぞき込む。

「ね。まだ笑顔を見せてもらってないよ」
「え……」

フィーネは頬を染め、一歩後ずさる。
真っ赤になった顔は熱いけれど、いつものそれとは違う。

「そうでしたわ。フィーネは対人恐怖症なんです。まあ…貴方に気をつけてという必要はなさそうですけど」

思い出したようにナタリアは言い、おもむろにガイの胸板に触れる。

「ひいぃっっ!!!」

一瞬でガイは身を引き、ルークの後ろへと隠れる。
フィーネはぽかんとその様子をただ見つめた。
震える彼はどこか、泣き虫だった幼い頃を思い出させる。

「ガイは女性恐怖症なんですのよ。ね、似ているでしょう」

ふふっ、とナタリアは笑った。
フィーネは未だ震えるガイを見、自分の症状を思い浮かべて思わず微笑んだ。

「そうですね」

ようやく落ち着きを取り戻したガイは、フィーネの笑った顔を見て目を細めた。

こうして、2人は”再会”した。
けれど、まだお互いの素性を打ち明けることはない。

06.「ああ、どうしよう…うかつだった」

後悔と、不安と、恐怖と、決意。

『ガイを迎えに行ってきます。フィーネはここで待っていてください』

そう言ってジェイドが走って行ってから、どれくらいたったろうか。
フィーネはこのダアトが見渡せる第四石碑の丘に立っていた。
頭の中がガンガンする。
照りつける太陽の光とは関係なく、フィーネの体は震えていた。

ナタリアとイオンが、大詠師モースに軟禁された。

『ナタリアさまああぁぁっっ』

叫んだ声は虚しく、重い扉が残った人間を冷たく押し出した。
うかつだった。
どうして自分のことにここまで囚われてしまっていたんだろう。

『お前はガイのレプリカなのか?!』

アッシュの言葉が頭の中を離れず、いつまでも動揺して。
また、護ることができなかった。丘の上からダアトを見下ろして、フィーネは溢 れ出した涙を拭う。
自分がしっかりしていれば。
そればかりが頭をよぎる。
思えばワイヨン鏡屈でも足手まといでしかなかったかもしれない。

アクゼリュスが崩壊し、キムラスカが開戦の準備を始めたという。
それを警戒したイオンが導師詔勅を出すため、向かったダアトでは神の盾兵が待 ち構えていた。
イオンと共にナタリアも捕えられ、今彼女らは眼下のダアトのどこかに居る。

『貴方は自分のやるべきことをやればいいんです、フィーネ』

昨日の夜、ジェイドが言った。
そうだ。
今の自分はナタリアを護らなくてはならない立場だった筈だ。
もっとしっかりしなければ。
そう思うたび、涙が流れる。
ふがいなさに自ら呆れながら、フィーネはしゃがみこんだ。
……ガイがやってくる。
彼を見て自分は平常で居られるだろうか。

ガイ。

考えてはいけない。
フィーネは頭を振った。
ボロボロと熱い涙が目からこぼれ、土に染み込んでいく。
考えることが怖くてたまらない。
ルークもレプリカだと知ったとき、こうだったのだろうか。
今もそうなのだろうか。
しっかりしなければいけないという想いの隣で、言いようのない恐怖と不安が広がってくる。

「ガイラル……ディア様…」

今の自分には、ただジェイドがガイと共に帰ってくるのを待つことしかできない 。

「戦力が必要って言ってたが旦那、フィーネはどうしたんだ?」

ダアトへの道を辿りながら、ガイは先を歩くジェイドに問いかけた。
ジェイドは落ちてきたメガネを直し、顔をガイに向けないまま答える。

「今の彼女には、おそらく戦闘は無理です」
「え…?」
「どういうことですか、大佐」

ジェイドは立ち止まり、ティアの顔を見たあとルークを見、そしてガイを見た。

「………責任感の強い彼女のことです。ナタリアを神託の盾( オラクル ) に奪われてどんな状態 にあるのか、想像にかたくないと思いますよ」

ガイを見ていた赤い瞳が揺れた。

…嘘ではない。
けれど全てを伝えたわけでもない。
今、彼女が悩み恐れていることを伝えてしまえばガイ自身も大きくぶれてしまう 。
それだけは避けねばならなかった。

(胸が……痛みますね)

いつかは伝えねばならないことだとはジェイドもわかっている。
宿であれほどショックを受け、生気をなくしていたフィーネを思えば。
自分の犯した罪を考えれば。
ガイ自身のことを思えば。

「……フィーネ」

ガイは彼女の名前をそっと口にした。
また泣いているのだろうか、と思った。
ユリアシティに居たあの日、彼女の涙を拭えなかった手を強く握りしめる。

(触れられないことくらい、わかっているじゃないか)

彼女に会ったら抱きしめたいなんてきもちが、体の中から浮かんでくる。
恐い、なんて思うより先に。

(逆、だったのにな)

何故かそう思った自分に、ガイは驚いた。
何が、何が逆だと言うんだろう。
ふとよぎった幼い頃の記憶。
思い出せないのは あの記憶だけだったはずなのに、いつからだったのか。
もう一つ、思い出せないものに気が付いた。
妹、ではなかった。
けれど妹のような存在だった。
家族、だった。
顔も、声も、名前も、わからない。
存在以外は思い出すことが出来なくて、それ以上考えることも今まであまりなかったのだが。

「なあ、旦那」

ガイはジェイドを見る。
そよ風が一行の間を吹き抜けた。

「大丈夫。フィーネなら大丈夫さ」
「ガイ…」

ジェイドは目を開き、風に揺れる金色の髪を見つめた。

***

夕刻。
フィーネはナタリアから少し時間をもらい、昼間やってきたファブレ公爵邸に再 び足を踏み入れた。
公爵邸の奥に、ガイとペールの部屋はあった。
フィーネが恐る恐るノックをすると、中からしわがれた返事がする。
ドキドキする心臓を落ち着かせるように深呼吸して、ドアを開いた。

「よく来てくださいました」
「ペールおじさん」

ペールは、にこやかにフィーネを出迎えた。
思わずフィーネも笑顔になる。

「ご存命でなによりでした。……そして貴方も、我々にとって大事なお方でした のに………私はあの方を助け出すのに必死で…」

ペールは両手で顔を押さえた。
あの忌まわしい惨状を思い出したのだろうか。
フィーネは首を横に振る。

「…あの方をお守りすることが第一ですもの。おじさんも彼もお元気そうでよか ったです。でも……」

フィーネの頭にあの、公爵家に飾られた宝刀がよぎった。
ペールは丸いメガネをかけなおし、彼女の言わんとしていることを察したように 話出した。
その表情はひどくかたい。

「……私はあの方のご意思についていこうと思っております。このまま平穏な時 を過ごすのも、刃を振るうのもあの方のお心次第」
「そう……ですか…」

フィーネは昼間、庭で笑っていたガイの顔を思い出した。
彼が今何を考えているのか、フィーネにはわからない。
そういえば、とペールは話を続けた。

「ガイには会いましたかな。喜んでおられたでしょう。小さい頃、本当に貴方の ことが大好きで……」

懐かしむように目を細めたペールに、フィーネは顔を横に振る。

「いいえ、ガイ様は私のことを知らないようでした」

小さく笑ったその口元は少しひきつって、蒼い瞳は静かに揺れる。
ペールは驚き、そして考えこむように自分の顎髭を撫でた。

「……ガイには抜け落ちた記憶があるのです。それはあの時……ご家族を亡くされたときの記憶です。もしかしたらその記憶と共にフィーネ様との記憶も……」

ペールの言葉はそこで切れ、代わりに部屋の扉が大きく開いた。

***

「強くならなきゃ…」

冷たい風が丘の下から吹き上げてくる。
そっと、フィーネは服の上からあの傷を触った。

強くならなきゃ。ナタリア様も、ガイ様も護れるように。

自分が人間なのか、レプリカなのか。
考えるより先にやらなきゃならないことがある。
……本当は考えることを、現実を逃げているだけなのかも知れない。
けれど、大切な人を護ることが自分に託された使命なのだから。

「フィーネ!!」

よく通るその声が、フィーネの耳にも届いた。
振り返ればガイの姿。
そして後ろからはジェイドと一緒に走りよるティアとルークの姿が見える。

「ガイ…様……」

ふがいない姿を見せるわけにはいかない。
フィーネは目に残る涙を拭うと、皆の元へと歩み寄った。
そして涙で赤く腫れたその目が、力強くガイを見つめる。

「私の……私の責任です。ナタリア様をこの手で助け出さなくては」

07.「わかっているんだ。わかっているはずなのに」

君に触れられたらと、願う。

ナタリアとイオンを助け出し、ダアトを抜けてすぐのことだった。
視界がぐらりと揺れる。

「フィーネ?!」

ナタリアの後を走っていたフィーネが突然倒れた。
みな、一斉に振り向き足を止める。
金色の髪が、身体に遅れるように流れ、その白い頬を隠す。
ガイにはそれがゆっくりと、まるでコマ送りのように見えた。
けれど、足が動かない。
支えなければ、そう頭は体に指示を出すのに。
ジェイドが、駆け寄りそっと抱き起こすと、フィーネは青白い顔でグッタリして いた。

「フィーネ、大丈夫ですの? フィーネ!」
「……大丈夫です。気を張っていたのでしょう。ここ最近、よく眠れていなかったみたいですし」

心配そうにフィーネの腕にしがみつくナタリアにジェイドは言い、フィーネを抱いたまま立ち上がった。

「だん…な…?」

ガイは困惑した表情でジェイドを見る。
ズキリと胸の辺りが痛んだ。

「このままにしておく訳にはいきませんからね、私が抱いていきますよ」

年寄りといえど、この中では適任のようですからねと、ジェイドは言った。
確かにそうだ。
一行の中で一番体力があるであろう自分は、彼女に触れることすら出来ないのだ から。

「そう…だよな」

思わずジェイドに向けたガイの表情がひきつる。
心臓を、何かが握り締めたような気がした。
こんなときに何を考えてるのだろうとガイは思った。
ジェイドが彼女を抱き上げた姿を見るのがこんなに嫌だなんて。

俺が抱いて行きたい。

そう思った。
倒れる前に俺が支えてやれたら。
俺が、
俺、が。
わかっている。
わかっているんだ。
わかっているはずなのに。
……怖いのに。
彼女でなくとも、女性に触れることが怖くて堪らないのに。
どうして彼女に 触れたいと思うのだろう。
どうして自分でなければ嫌だと感じるのだろう。
以前にも同じことを考えた。
自分にとって彼女の、フィーネの存在は、どういうわけか日に日に大きくなっている。
ジェイドの胸に抱かれ、眠っている彼女の自分に似た髪が揺れるのを見つ め、ガイは拳をにぎった。

不安定な揺れを感じて、フィーネは目を開けた。
天井には無機質な鉄鋼が並んでいる。
少しして、ここがタルタロスの中だと気がついた。
ドオン、ドオンっという鈍い機械音が身体を静かに揺らす。

「目、覚めたかい?」

まだぼんやりとする頭を傾けると、腕を組んで壁に寄りかかるガイの姿が目に入 る。
その距離は遠くもなく近くもなく、お互いの恐怖症の上ではとても心地よい、は ずだ。

「あ…あの、ありがとう…ございます」
「いや、礼は大佐に言ってくれよ。タルタロスまでフィーネをずっと抱えてきた んだからさ」

そうだったんですか、とフィーネは小さい声で言い、ガイから目線をそらす。
彼を見続けることが出来ない。
怖かった。
もう自分のことなど構わないと思ったはずなのに、見るだけで否応なしに思い起 こされる。
自分が、ガイのレプリカかもしれないということ。
フィーネは口の端を強く噛んだ。

「フィーネは、さ」

ガイの声にフィーネは顔を彼に向ける。
彼の曇った表情と薄く笑った口が、フィーネの心にグサリと突き刺さった。
ガイのこんな顔、見たことがない。

「俺のこと、どう思ってるんだい?」
「え……」

予想だにしないその問いにフィーネは目を丸くした。
一度冷めた熱が、急激に顔へと押し寄せる。
ガイの言葉がぐるぐると頭を回った。

「フィーネにとって、情けないか。それとも、頼りないかな。キミの涙を拭うこ とも触れることさえ出来ない俺は」
「ガイ様…」
「俺は……触れることなんて出来ないのに。わかってるのに、………キミを抱きしめた いと思ってる。フィーネが涙を流すたび、今のようにつらそうな顔をするたび」

同じ色した瞳が、お互いを見合う。
ガイの八の字になったその眉は、眉間の 皺を一層深くした。

「俺は、キミに…キミにそんな顔して欲しくないんだ。こんなこと今の俺たちの 状況で矛盾してるかもしれないが」
「ガイ…様…?」

フィーネは ガイの言葉の意味がわからず、彼を見返した。
ゆっくりとガイの口が何かを 発しようと形を変える。
ガクンッッ

「うわっ」

突然の衝撃に一瞬、タルタロスが大 きく傾く。
異常をしめす警告音が辺りに鳴り響いた。

「なっ、な にが」

フィーネの言葉にガイは首をふる。
そして今なお揺れる機体に、壁を押さえてバランスを保ちながら、廊下を見やっ た。

「とりあえずみんなのところに行ってみよう。歩けるかい」

フィーネは頷くとベッドから降りた。
今。
ガイは何を言いかけたのだ ろう。
フィーネは一瞬、考えた。
ガイの言葉の一つ一つが、自分の胸を震わせる 。

でも……このままではいけないかもしれない。

そう思わ ずにはいられなかった。
ガイのレプリカであるかもしれない自分には。

その後タルタロスは、修理の為ケテルブルクへと 向かう。

to be continued...

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