home > text > > 情動【甘寧×凌統】

情動【甘寧×凌統】

「くっそ、陸遜のヤツっ」

時は夕刻。
橙色した光が、広々とした廊下と、周囲からも十分に感じ取れるほどの不機嫌さを全面に出しながら歩く凌統を照らす。
彼の手に握られているのは、一つの書簡。
先程、陸遜から受け取った物だ。

「これを甘寧に。ちゃーんと読んであげるんですよ。そうしないと読まずに放っておくだけなんですから」

天下無敵の笑顔を向けられ、半ば強引に押しつけられた。
いや、強引だった。
凌統は体全体を使って拒否したのだから。

もし、この書簡を渡す相手が呂蒙だったら、黄蓋だったらすんなりと受け取っていただろう。
甘寧だから嫌なのだ。
自分の父を殺した、あの男だから。

「何で俺があいつのところに行って、その上書簡まで読まなきゃならないんだっつの!」

凌統は近くにあった柱を蹴り上げた。
思ったより強く衝撃を与えてしまったのか、その右足はじんじんと痛みを訴える。

「格好悪…」

その足を少し引きずりながら、甘寧の部屋までたどり着く。
むかむかする。
この扉の向こうにあの男が居る。
凌統は大きく深呼吸した。

扉を開けて、書簡を読むだけだ。
たったそれだけのことじゃないか。

思い切って扉を開いた。

「おい、かんね…」

凌統の声は、男の名を全て言い終わる前に途切れた。
体中の熱がどこかへ行ってしまったかのように、寒さを感じた。
否、右足だけが熱く痛みを主張していた。

否応なしに目に入ったのは、女の肢体。
聞こえる熱い吐息。
むさぼるように女に口づける、あの甘寧の姿。

「…なんだよ、いいとこだってーのに。なんか用か凌統」

煩わしそうに甘寧が凌統の顔を見上げる。
声が、出なかった。

声が、出なかったのだ。
凌統の喉から声が出なかった。

何かを、何かを言わなくてはならないはずだ。
何をしに来たのだ、自分は。
こんなものを見るためじゃないはずだ。
こんなものを。

ポタリ、と床に一つの雫が落ちた。
驚いた顔をした甘寧と自分が知らない女がすこしずつぼやけていく。

胸が

ひどく、苦しい。

「…悪かったな…」

声にならないような小さな声でそう言うと、凌統はきびすを返し、勢いよく扉を閉めもと来た廊下を走った。

「っ、おい凌統!!」

叫ぶ甘寧の声が聞こえる。
そんなことはもう、どうでもよかった。

ズキリと右足が悲鳴を上げる。
けれどこの涙は、この痛みのためではないようだ。

「…だっせーつーの」

右手には、渡しそびれた書簡。
凌統は天を仰ぎ、鼻をすすった。

「あいつに女が居たことが悔しかっただけだ。それ以外、ねえじゃねえか」

自分に言い聞かせ、凌統は握っている書簡を眺めた。

「ガキかよ、俺は」

親父が居なくなってから、涙腺がゆるみすぎだ。

next

return to page top