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芽生え【堂上 篤×笠原 郁】

『あたし、王子様からは卒業します!』

堂上がフリーズし、小牧を笑いの渦に巻き込んだ、郁の王子様卒業宣言から数日が経つ。
自分を助けてくれた正義の味方、6年前の王子様。
それが、入隊当初から火花を散らしていた目の前の堂上だったなんて思いもよらなかった。
だから。だからなんだ。そう、郁は無理矢理思い込もうとした。
今目の前の背中に、心臓が爆発しそうなくらいドキドキいってんのは、決して……。
「━━っ、聞いてるのか、笠原!!」
「は、はいぃぃ━━━━!?」
堂上の剣幕に、郁はやっと我に返った。
どうやらずっとこちらに話しかけていたようで、堂上の眉間にはシワがくっきりと刻まれている。
「勤務中に上の空とは良いご身分だな、笠原一士」
「も、申し訳ありませんでした! 笠原、少し考え事をしておりました!」
ああ! 言わんでも良いことを!
考え事だと、という堂上の怪訝な声に、郁はまたあたふたと言葉を探した。
館内の見回りに、堂上と郁、小牧と手塚という組み合わせが振り分けられたのは決して偶然じゃない。
(あの人、こういうのをおもしろがって振り分けたよね!? 絶対〜!)
いつも笑顔の正論人間に、心の中で恨み節をする。
もちろん、早く今の状況に慣れるように、という気持ちも込められているとは思うけれど。
……というかむしろそれが本心だと、思いたい。
「悩みがあるなら聞いてやる、言ってみろ」
「い……いえ、悩みとか……そういうのじゃ」
言えるわけあるかー!! 本人にそんなこと!
胸の内で郁は叫んだ。
そのときだった。
『業務部より館内の防衛隊員に連絡。業務部より館内の防衛隊員に連絡』
「柴崎!?」
耳に押し込まれた無線のイヤホンから、聞き慣れた柴崎の声がする。
心なしか強ばって聞こえる。
館内放送ではなく、無線で連絡をかけるなんて……一体どうしたのだろう。
『図書館内で、3歳の女児が行方不明。女児の特徴は、ツインテールと花柄のワンピース。館内放送で呼びかけたが周囲の反応なし。迷子と誘拐の両面で捜索願います』
「教官、あたし行きます!」
「待て、笠原!!」
はじけるように飛び出した笠原を堂上は制止しようとしたが、一歩先にすり抜けられ。
「っの、アホウが!」
走り出してすぐ、先ほどの心ここにあらずの郁が堂上の頭をよぎる。
今は考える必要が無い、そう自分に言い聞かせて堂上は彼女を追った。

「……ここにもいない……」
会議室の扉を閉めて、郁は大きくため息をついた。
館内を隅々まで捜索したものの、特徴に合った女児は見つかっていない。
「他もお手上げのようだ」
「そんな……」
今、その幼い女の子はどうしているだろう。
誰もいない場所で震えていないだろうか。
柴崎が言っていたように誘拐の可能性はあるのだろうか。
時間が経つにつれ、気持ちが焦ってくる。
━━━と。
「笠原?」
郁は急にはっとして、廊下の窓から舐めるように外を眺めた。
「どうした」
「声が……」
「声?」
誘われるように堂上も中庭を見やる。
風に揺れる並木、カップルやお年寄りでにぎわうベンチ。
……ううん、そこじゃない。
「……もしかして」
「笠原?」
…………いた!
「おいっ!?」
すぐに駆け出した郁に、再び堂上の手が空を掴んだ。
郁の見ていた場所を一瞥し、把握した堂上は走り出して無線のマイクを入れる。
「対象の女児と思われる少女を確認! 笠原一士が現在急行中。場所は━━」
一つ呼吸をした。

「正門前、噴水だ!」

館内で行方不明━━。
そんな、わかっている範囲の情報に踊らされていた。
図書館の外に出た、なんて一番始めに考えられる最も危険に繋がる事態の一つだ。
どうしてそんな場所に、などと今は考えている余裕はない。
「まどろっこしい!」
階段を駆け下り一階に到達したところで、郁は正門に面した窓を勢い良く開け、よじ上って外へと飛び出した。
芝生の上を全力で疾走する。
女の子がいるのは、堂上が無線で飛ばした通り、正門前の噴水だ。
入館ルートから見えない場所。
噴水の縁に乗り上がって、四つん這いになっているのが見える。
ツインテールに花柄のワンピース。
そんな特徴がなくとも、親のいない小さな少女がこんな場所でいることがもう、捜索対象であることを物語っていた。
(今は大丈夫……でも)
いつ水の中に落ちてもおかしくない。
いくら深くないとはいえ、あんな小さな子が落ちたら。
自分じゃなくても良い。
早くあの子の元へ━━!
「あっ!」
少女の手のひらが、濡れた縁を滑った。
走っても間に合わないけれど思い切ってジャンプすれば……。
「行け! 笠原!」
後ろから、堂上の声がする。
……大丈夫。このまま、飛ぶ!
「ええいっ!」
地面を蹴って、飛躍する。
程なく少女を抱えた。
「教官!」
「笠原!」
走り寄る堂上が手を伸ばす。
滑るように少女を堂上に託した。
そして。
大きな音と共に、水柱が高く上がった。
「えっ……ふえっ……う、うああああぁぁん」
目の前で起きた出来事に堂上の腕の中の少女は驚いて泣き始める。
「笠原!」
もう一度彼女の名を呼ぶ。
すぐに水の中から、声がした。
「あはー。ずぶ濡れー」
そう言いながら立ち上がる彼女に堂上は、ほっと胸を撫で下ろした。
「……よくやったな」
泣きじゃくる少女を器用にあやしながら、もう片方の手を郁に差し出す。
「ありがとうございます」
郁も手を伸ばし━━。
「うわっ!」
堂上に触れたところで、手を引っ込めた。
手を握る。
今まで当たり前のように何度も何度もしてきたことなのに、何だか恥ずかしい。
体は水に浸って冷えていたはずなのに、つま先から頭のてっぺんまで全身が熱くなったかのように錯覚する。
(きょ、教官とて、ててっ、手……!!)
意識せずにあんなこともこんなこともしていた自分が今なら尊敬できるような気がした。
堂上は怪訝そうな顔で郁を見る。
「どうした、笠原。顔が赤いが……」
「なっ、なな! なんでもありません!!!」
「なんでもいいが、まずそこを出ろ。ほら」
もう一度、郁に向かって手が向けられる。
唾を飲み込んで、恐る恐る手を伸ばす。
「わっ!」
掴まれてその場を出る。
するとすぐに強く引き寄せられた。
「きょ、きょうか……!?」
張り付いた前髪をはねのけられる。
「……少し熱い。風邪かもしれんな」
「な……」
瞼を二度三度開閉する。
額に接したぬくもり。それは、堂上のそれであって。
思わず近さにただでさえ、大音量で鳴り響いていた心臓の音が一層激しさを増した。
(教官が……! 教官のおでこが……! あた、あたし、の!!)
うまく状況が理解できなくて、郁は口をパクパクさせた。
そうこうしているうちに、堂上が顔を離した。
「……こちら堂上。笠原一士が、少女を確保。至急、親の元に向かう。それと」
報告を一旦止め、堂上が惚けたままの郁を見る。
郁を掴んでいた手が離れ、そっと掲げられ。
「……バスタオルの準備を。以上だ」
ぽんぽんっと、頭に触れられた。
驚いて彼の顔を見やると、堂上は、よくやったな、と小さく呟いて、親指で郁の髪を弄んだ。

「お手柄だったじゃなーい! ほんっと、一時はどうなることかと思ってたの!」
正門で親子を見送った後、同席した柴崎がくるっと振り返って嬉しそうに声を上げた。
最近は小さな子どもの声かけ事案や誘拐未遂が世間で増えており、大規模体制での捜索となったのはやむを得なかった。
そんな世の中でなくとも、図書館内での迷子の子どもの捜索は常といっていいほどあり、今後の対策も考えていかなければいけない。
「よくやった。だが、まさかそのまま飛び込むとはな」
堂上の褒め言葉に、それこそまさかのお小言がついてきて、郁は思わず反論した。
「な! 教官だって、『行け!』って言ったじゃないですか!」
「お前の足なら無事に子どもを確保できると思ったからだ。もちろん、落ちる一歩手前でな」
「えっ……」
信頼した、そうとも取れた。
落ち着いたはずの感情がまたわき上がってくる。
「というか、お前! まだ濡れたままじゃないのか! 熱があるならさっさと着替えてこい!」
「い! いたっ! いたい! そんな力いっぱい!」
ある程度拭いて羽織ったままにしていたタオルで、ガシガシと擦られる。
あの子の見送りだけは出たかった。堂上と自分が救ったあの子だから。
熱ねぇ、と柴崎が郁の顔色を伺って、悟ったように笑顔を浮かべた。
「堂上教官! いちゃついてないで、早く笠原を解放して下さい? 着替えにいかせますから」
「「誰が!」」
堂上と郁の声が綺麗に重なった。

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