「何やってんだ、バカ」
第一声がそれだった。
「バカじゃないわよ…バカ…」
頬につたうのは涙なのかもわからない。
まもりの身体には激しい雨が打ち付けていた。
「とにかくウチ入れ」
「嫌」
服が肌に張り付き、肩が震えている。
「風邪ひくだろうが。んなとこ突っ立って何になる」
「…謝ってよ。謝りなさいよ!…私のことバカにして」
「……何が言いてえのかさっぱりなんだが」
激しい雨。
ヒル魔はドアノブにおいていた手を自分の腰に移した。
「……アメリカ…行くんでしょ。卒業したら」
ヒル魔の身体がピクリと動く。
「わかってたよ。わかってたけど…私のことだって少しぐらい考えてくれたっていいじゃない…っ」
支えてあげたい、頭ではそう思ってるはずなのに。
まもりは嗚咽を漏らした。
このままずっと一緒には居られないんだということも、何となくわかっていたつもりだ。
それなのに、この苦しい気持ちは何なのだろう。
「…っとにバカだな、てめぇはっ!いちいち考えることが下らねえんだよ! とにかく今はウチに入れ。 風邪なんかひいて大会来れないなんてことになったら、こっちが困んだっ」
ヒル魔は、まもりの腕を無理矢理引っ張り家へと入らせる。
まもりは抵抗はせず、ただ泣きじゃくるばかりだった。
案の定冷えきった身体をヒル魔は抱きしめた。
閉めた扉にもたれ掛かり、自分の体温が彼女に奪われるのを感じていた。
「…っ、どうしていつも勝手に決めちゃうのよ…っ」
ポタリポタリと、まもりの身体から落ちる水滴が玄関を濡らしていく。
まもりの言うことも尤もだと思った。
けれど、これは自分の問題だし、とやかく言われる必要もないようにも思う。
どちらが正しいのかは分からない。
ただ、まもりを傷つけたのは確かだった。
「風呂…入ってこい」
まもりは黙って頷き、ヒル魔から離れた。
こうしていても意味がないと悟ったのだろう。
まもりは震える足でヒル魔の家に上がる。
今にも倒れてしまいそうだ。
ヒル魔はため息を吐くと、まもりを抱きかかえた。。
脱衣所で下ろすと、タオルと着替えを取りに行く。
すると、まもりはヒル魔のTシャツの裾を掴んだ。
「どうした」
何か言いたそうに見つめるまもりに、ヒル魔は違和感を覚えた。
普段のまもりなら、こんな顔をしない。
あんなことを言わない。
気丈に振る舞い、辛くないような顔をする。
それができねえほどってことか。
まもりの額に張り付いた髪を掻き揚げ、ヒル魔はそこに口付けた。
「先入ってろ」
そう言うと、ヒル魔はタオルと着替えを取りに行くためきびすを返した。
まもりは冷たく、重くなった上着を脱ぐ。
洗濯機にそれを入れたところで、これから何度ここを使うのだろうと思った。
残された期間はあと一年。
一年でいったいどれくらいのことが出来るのだろう。
また、涙がこみ上げた。
拭っても拭いきれない。
私は、ここに居ていいのだろうか。
「まだ入ってねえのか」
ガラッとヒル魔が戸を開けた。
洗濯機と反対側に置かれた棚に、二人分のタオルと着替えを置く。
そしてまもりの頬に手を当て、親指で彼女の目に溜まった涙を拭った。
「…下らねえっつっただろ」
「なによぉ…」
自分の気持ちをこの人は全て見透かしている。
かなわない。
「誰がてめえを捨てるっつったよ」
まもりを抱く手はいつもよりも強かった。
「てめえはどれだけ自分が愛されてんのかわかってねえようだな」
ヒル魔はまもりの涙を唇ですくう。
「わっ…わかりませ…っ」
まもりはヒル魔の行動に思わず目をつぶる。
すると、今度は唇にキスが降ってきた。
「…わからねえか。これだけ注いでやってんのに」
何度も何度も。
角度を変えて。
むさぼるように。
冷えた身体も熱くなる。
たったこれだけで。
ヒル魔の口づけだけで。
「……まもり」
ぽつりと、ヒル魔は言った。
「俺と一生を共にする覚悟はあるか」
「え…」
突然のことにまもりは一瞬言葉を無くす。
「数年間はまともに側に居てやれねぇかもしれねえが」
ヒル魔の瞳がまもりの青い瞳を見つめた。
「……それってプロポーズ?」
「正真正銘のプロポーズだ」
もう一度こみ上げた涙にまもりはヒル魔の胸に顔を押しつける。
「ケケ、泣き虫糞マネ~」
「…っ…しょうがないでしょ、もうっ」
まもりはヒル魔を見上げた。
「…一生離さないで。一生、ついていくから」
まもりの瞳は揺るがなかった。
「上等」
ヒル魔はまもりに軽く口づけた。
「…で。一人じゃ服脱ぐことも出来ないんでちゅか、まもりチャンは」
急にヒル魔がいつもの意地悪調子に戻り、まもりは瞬間、きょとんとした顔をする。
そしてすぐにバカにされているということに気づくと、顔を真っ赤にした。
「でっ、出来ますっ!」
「しょうがないナァ、ヒル魔くんが手伝ってやるよ」
「結構ですっ」
「ケケケ、今更言うことじゃねえだろ」
ヒル魔は笑い、まもりの衣類を脱がす。
「早くしねえと、本当に風邪ひくぞ」
ヒル魔の言葉に、まもりは笑って頷いた。
雨音は激しく鳴り響いたが、二人にはもう、届かない。