「ちょっ、モモシロくん!ラケット忘れてるわよっ」
「おっ、わりぃ、わりぃ」
出会ってから12年後、桃城武と橘杏は結婚した。
杏は『桃城』と姓を変えたのだが、学生時代の名残をなかなか戻すことはできない。
「『武』でいいって言ってんのによー…」
差し出されたラケットバッグを受け取りながら桃城は呟いた。
「しょうがないでしょっ!………恥ずかしいんだから」
頬を赤くし、俯いた杏に桃城はそっと口づける。
「可愛いから許す」
普段はしない甘い声に、杏の頬は更に赤みを増す。
「……ぅ。て、テニスプレイヤーなのにラケット忘れてっちゃダメなんだからね!」
照れ隠しで言うその言葉に、桃城は笑みをこぼした。
「わーってるって。んじゃ、行ってきますのチューしてくれよ」
さっき自分からしたじゃないとむくれる杏に、桃城はお前からじゃなきゃ意味ないじゃんと、最愛の妻からの口づけを待つ。
杏は少し背伸びをし、ぎこちなく桃城の唇にキスをした。
彼は心底満足気な表情をし、杏の頭をまるで幼い子にするように優しく撫でた。
「んじゃ、行ってくる。後で観に来るだろ?」
頷く杏に手を振り、桃城は玄関のドアを閉める。
そう、今日は大事な試合。
念願のプロテニスプレイヤーという道を歩き始めた彼にとって、これからの将来をも分ける大事な試合だ。
「絶対勝ってよね」
振り返した手を握りしめ、杏は夫の勝利を願った。
「新婚生活も一ヶ月目に突入だな、桃」
乗り込んだタクシーの中、現在桃城のマネージャー兼コーチとして働く乾は彼にそう呟いた。
「っすね~。あっと言う間に」
へへっと笑った桃城の顔はとても幸せそうだ。
そうしている間に試合会場に到着した。
もう少しで試合が始まる。
「絶対勝つぜ、杏」
そう言った桃城に迷いはなかった。
━━━━━━………
「おめでとう、モモシロくんっ」
「おぅ!杏の応援が効いたぜ~」
その日、見事勝利を手にした桃城の為に、家で二人だけの祝勝会が行われた。
乾は、今後のためにとデータをまとめるのに今夜は忙しいらしい。
愛妻の料理を満足そうに食べている桃城は、今も昔も変わらない気がした。
その様子を杏は微笑ましく見つめた。
「ん?どした?」
口の中を飲み込み、桃城も杏を見た。
「ううん。いい旦那を持って幸せだなぁって」
「なぁーにを今更。お前だっていい奥さんだよ」
桃城はつんっと杏の額をつつくと、自分の口を拭った。
「じ、じゃあ、今日はトクベツにごはん食べさせてあげよう」
赤くなった頬を誤魔化すように杏は皿の唐揚げに箸をのばす。
「お。やさしーじゃん」
「はい、あーん」
「あーーん」
杏から貰った唐揚げをほおばり、呑み込むと、桃城は近くにあったビールを手に持った。
「じゃあ、俺はビールやる」
「私の分あるって」
「だからよー」
桃城はビールを口に含み、杏に口づけた。
杏がすべて飲むのを確認すると唇を離す。
「美味かったろ?」
「…………うん」
にんまりとする桃城に杏は頷いた。
これからも二人の生活が幸せでありますように…。