この道を。

この道を選んだときから、とうに覚悟したつもりだった。
なのにどうして今、この気持ちに気づいてしまったんだろう。
────貴方への想いに。

「……ハンジ」

揺り動かされて、やっとハンジは自分が眠っていたことに気づいた。

「あれ……リヴァイ? ここ……どこ」
「チッ、きたねえな。その口のよだれを拭け」

袖で拭おうとすると、呆れたようにハンカチを渡された。
ありがたく受け取り口元を拭う。

「いやー、助かったよ。俺が起こしてもウンともすんとも言いやしなかったからよ」

ガハハと笑った男を見て、ここは行きつけの酒場で、彼はそのマスターだということを思い出した。
突っ伏していたテーブルの傍らには酒瓶が数本転がっている。

「いつつ……」

鈍い頭の痛み。どうやらしこたま飲んだらしい。
リヴァイもそれを見やり、ため息をつく。

「……明日は壁外だぞ。これだけ飲んで戦えるんだろうな」
「壁外だからこそ飲みたい気分だったんだって~っ! ……とと」

テーブルを両手で叩きつけて立ち上がると視界が揺れた。
体の安定が取れない。

(やばっ……!)

「チッ、この酔っ払いが」

予測した衝撃は襲ってこない。
酒のせいで重いまぶたをパチパチさせて、ようやくリヴァイに支えられたのだと気づいた。

「勘定だ。うちのクソメガネが迷惑かけたな」
「ちょ、ちょ、リヴァイ!?」

リヴァイは腰から下げた小袋を投げやると、ハンジの膝の裏に腕を入れて持ち上げた。

「ちょっと、リヴァイ〜。なにすんのさ〜」

と、言ったつもりが呂律が回らず腑抜けた声が出た。
眼鏡を外した後のように視界がぐらぐら揺らめいている。
酒場のざわめきはどよめきに変わった。
呑んだくれている希代の変人を人類最強がお姫様抱っこする様を、一般人が凝視しないはずがなかった。

「……ハンジよ」
「なんだい」

わかりやすいほど機嫌の悪そうなため息がリヴァイから漏れる。

「酒くせえ、だまれ」

……やばい、これは本気で怒っている。
リヴァイの様子に、ハンジは一瞬酒が入っていることを忘れかけた。

(そりゃそうだよな〜、壁外前にこんだけ飲んでんだもんな〜)

他人事のように自分の行動を思い返す。
けれど。

(私だって……飲みたいときぐらい、あるよ)

リヴァイの胸に頬を擦り付けた。
壁外調査。
巨人に会える。
新しい発見の可能性がある。
ワクワクする。
だが、それだけではない。
人が……死ぬ。
とてつもなく多くの人が死ぬ。
そんな危険をはらんでいる。
目を閉じれば巨人に喰らわれ、踏みつぶされ、死んでいった仲間が、その最後の瞬間が思い起こされた。
……こんなことを、何度も何度も。
気が狂いそうになる。
強くあらねばならないのに。
生きて、人を動かさなかればならないのに。
未来を掴まなければいけないのに。
弱い自分が腹立たしくて。……許せなくて。

「……自分が、心底嫌いだよ」

呟くと、リヴァイの足が止まった。
気がつけば、酒場を出て、宿舎に戻る道にいる。

「俺は、好きだがな」

彼の口から出た言葉に驚いて顔を上げる。

「っ、このクソメガネ!」

不意に動いたことでリヴァイがバランスを崩しそうになったが、彼が地面に膝をついてことなきを得た。

「リ、リリ、リヴァイッ! い、今のは!」
「ああ?」

彼の首のスカーフを掴み、ぐいっと顔を近づける。

「リヴァイが! 私を! すすすす、好きって! どういうこと!? どういう気持ち!?」
「バカ! 落ち着け奇行種!」

頭を掴まれて引き離された。
あからさまにハンジはムスッと頬を膨らめる。

「…………そういう狂ったところがあるにも関わらず、意外と人間くさいところが、だ」
「へ……」

リヴァイは言いづらそうにしながら、なんとか言葉にしたものの、ハンジは訳がわからず、ぽかんと彼を見る。
すると、またイラついたようにリヴァイはため息をついた。

「普段は巨人巨人とクソうるせえくせに、いざ壁外になると、こうして不安がって酒に溺れるところとかだ!」

リヴァイはまくしたてるように一気に言い放つと、乱暴にハンジのまとめあげた髪を掴むと、胸に抱き寄せた。

「リヴァ……ッ」
「……人間くせえときのお前の脳みそはわかりやすいぞ。意外とな」

腕を緩めると、そっとハンジの額に、自分のそれをぶつけた。

「……俺も同じだ。今日は……狂いそうだ」
「……っ!」

リヴァイはそのまま、ハンジの唇を噛み付くように吸い上げた。

「……感じさせろ。てめえが生きてるってことを」
「んんっ……!」

今度は強引に舌を絡められる。
あまりにも長い時間、唾液が滴るほど。

「……はぁ……リヴァイ……」
「ハンジ……」

身じろぐと、靴の底でジャリッと土が鳴った。
今生きている。
そう告げている。
この熱、肌、吐息、心音━━。

「……頼むから生き急ぐな。俺は、お前が━━」

ああ、やはり。貴方もそうなんだね。
心臓にこぶしを当てて。

「……ああ。貴方もね」

誰もいない夜の小道。
交わした、2人だけの秘密。
そして、誓い。