04.「追わなくていいのか…行かせていいのか」
「あんたはフォミクリーの生みの親じゃ! 何十体ものレプリカを作ったじゃろ う!」
空を滑るように声が流れていく。
目の前にいる老技師と、ジェイド・カーティスの会話をフィーネは素直に受け取 ることが出来ず、言葉を胸のうちで反芻していた。
——–音機関都市、ベルケンド。
もし今が一刻を争う事態でなくて、一行に流れる雰囲気が険悪なものでなかった ら、フィーネは目を輝かせて街を散策しただろう。
音機関の美しさ、機能性。
それは陶酔してしまうほど素敵なものだからだ。
けれど今はそれをゆっくりと見ている暇などない。
そのことは目の前で行われている信じがたい会話でも見て取れるだろう。
スピノザとジェイドの話に、フィーネは混乱していた。
レプリカを、その原理を作り出したのが今まで共に戦ってきたジェイドであるこ と。
それだけでも信じがたいことなのに、ウ゛ァンの保管計画。
……あの人は一体何をしようとしているのだろう。
…………レプリカを使って…。
バチカルでフィーネに笑いかけたウ゛ァンの顔が今、彼女の脳裏に蘇る。
あの穏やかな笑顔の下で、彼は何を頭に巡らしていたのだろうか。
耐えられず、視線を泳がすと自分より少し前に立っているガイが目に入る。
口をつぐんだまま、眉間に深い皺を寄せてスピノザを、いやアッシュを見ていた 。
いつも穏やかで場の雰囲気を和やかにしているガイとは思えないほど厳しい表情 。
ゾクリと背中が震え、下を向く。
ピリピリとした空気に息苦しさを感じた。
『何十体ものレプリカ』
その言葉が頭のなかに木霊する。
何十体ものレプリカを、ジェイドはどうしたのだろうか。
ふいにそんなことを思った。
「出ていってくれ!」
スピノザの放った声にフィーネはハッとした。
アッシュが何度説明を請うても彼は頑として答えない。
結局、ウ゛ァンの保管計画についてスピノザからこれ以上話を聞くことはできな かった。
レプリカ、という存在。
人が造り出した、『ひと』という存在。
それを使って、ウ゛ァン謡将は何をしようとしているんだろう。
フィーネの頭は混乱する一方だった。
あの人は私に来てほしいと言った。
そうすれば、彼の傍にずっといられると――――
「……お喋りはそれくらいにしろ。行くぞ」
いけない、とフィーネは頭を左右に振り、今あることに集中しようとした。
確かこれから、ラーデシア大陸にあるワイヨン鏡窟に行くと話していた筈だ。
「俺は降りるぜ」
突然のガイの言葉に、一行は驚いて動きを止めた。
「…どう…して…」
フィーネの口からかすれた声が出る。
長く喋っていなかったからだろうか。
それとも思いもかけなかったことだったからだろうか。
ルークを迎えに行くのだと、自分の親友はあの『馬鹿』なルークなのだと、ガイ ははっきりと言った。
ガイとルークの間には知り合ってからの長い年月と、思い出と、築き上げた信頼 がある。
崩れさった筈の信頼の上で、ルークなら立ち直れると言いきったガイの瞳はまっ すぐだった。
ズキリとフィーネの胸は軋み、息苦しさを覚えた。
何故自分の体がそうなったのか、わからない。
ただただ苦しくて、フィーネは顔を歪ませた。
……自分はどうすればいいのだろうか。
ガイはこれから一人で向かうつもりなのだろう。
彼がかなりの戦力の持ち主だということはこれまでで十分わかっている。
稽古以上に素早く、そして力強く戦うのだということを。
そして自分は彼にはまだまだ追い付けない。
それが歯がゆい。
守らなくてはいけないのに。
いつかガイの代わりに命を投げ出さねばならないときもくるかもしれないのに。
……今は、違う。
ナタリアがいる。
彼女の世話をするようになってから、主としてだけではなく、とても憧れる女性 だ。
国のために、国民の為に何をすべきかということを第一に考え自ら行動する。
強さと気高さと、優しさ。
それだけでは言い尽せないほどの素養が彼女の中で生きている。
ガイを捜す手がかりを求め、ナタリアの世話役となったフィーネも、彼女の人間 としての魅力にいつしか尊敬と憧れを抱いていた。
彼女を失ってはいけない。
いや、失いたくはない。
マスターランクの弓の腕を持つナタリアも、その身分を明かさないにせよキムラ スカ・ランバルディア王国の王女なのだ。
……例えそんな肩書がなくとも。
自分が居なくて誰が彼女を守る?
守りたい。
失いたくない。
……どちらも。
でも、私は――――
彼を追わなくていいのか…。
本当に行かせていいのか。
「…ははっ。なんて顔してるんだフィーネ」
「えっ」
フィーネの曇った表情を見たガイが笑顔を浮かべた。
まさか声をかけられると思ってなかったフィーネは、驚いてガイを見る。
「大丈夫さ。ルークを連れてすぐに合流する」
スッと胸の重みが降りた気がした。
ああ、これだけ。
彼のたった一言だけで自分は安心してしまう。
ガイはきっとルークを連れて、無事に戻ってくる。
「どうか……お気を付けて」
やっと言えたその言葉にガイは頷くと、それじゃ、とその場を走り出す。
足音を辺りに響かせながら小さくなっていく背中を、フィーネは見つめた。
そんなフィーネへ、アッシュの鋭い瞳が向けられていたことに彼女は気付くはず もなかった。
***
初めて見る、キムラスカ・ランバルディア王国の首都は想像以上に圧倒された。
足元から頭のずっと上までのびる巨大な要塞都市。
港からバチカルを結ぶ天空客車。
どれもこれもが新鮮で、フィーネは目を輝かせた。
「あなたが新しい世話役ですわね」
自分と年はそう変わらずとも気品漂う物腰、顔立ち。
透き通るような白い肌。
これからフィーネの主となるキムラスカ・ランバルディア王女、ナタリア・L・K ・ランバルディアだ。
「フィーネ・トスカと申します。以後、よろしくお願いいたします」
幼い頃、ガイラルディアの姉、マリィベル・ラダン・ガルディオスに教えられた礼儀作法を思い出しながら、フィーネはナタリアに会釈をする。
金色の髪がふわりと揺れた。
「あら…」
突然、ナタリアがフィーネの顔をのぞき込む。
甘い香りがフィーネの鼻をかすめ、気づけば目の前にナタリアの大きな瞳が瞬きしていた。
「ナナナ、ナタリア様?!」
瞬時に顔を赤くさせるフィーネに、ナタリアはごめんなさいと身を引いた。
「あなたは確か…対人恐怖症でしたわね。ふふ、やっぱりどことなく似ていますわ」
華のようにナタリアは笑い、そっとフィーネの手を取る。
ピクリと震えたフィーネに彼女は、大丈夫と言葉を添えた。
「あなたに会わせたい方々がいますの。きっと2人もあなたを気に入りますわ」
そのまま手を引かれ、フィーネは城の横に建つ大きな屋敷へと連れられていった。
「ッ!?」
開かれた屋敷の扉から、まず目に飛び込んできたのは幼い記憶の中にあった蒼い剣だった。
柱に誇るように飾られたその剣には見覚えがある。
ホドの、ガルディオス家で主人が愛剣として使っていたそれであった。
窓から差し込む光に反射してキラキラと輝くそれは、幼い頃見たときとそう変わらないように見える。
どうして…これがここに……?
食い入るように剣を見るフィーネを不思議そうに見た後、ナタリアは飾られた宝剣を見上げる。
「この剣は、私のファブレ公爵がホド戦争のときに討ち取った方の持ち物だったそうよ。…私にはそれくらいしかわからないのですけれど」
ぞくりと、フィーネの身体に悪寒が走った。
ここはもしかして、そう思ったとき頭の中に出来る限り思い出さないようにしていた記憶が掘り起こされる。
体につけられた完治したはずの傷がうずき始めた。
「フィーネ?! 大丈夫ですの? フィーネ!」
うずくまるフィーネにナタリアの声は遠く聞こえた。
今は聞こえないはずの兵士達のたくさんの足音が頭の中に響く。
楽しかったはずの光景が、まるで鏡を割ったかのように無数にひび割れて……
背中に人の手が触れたような感覚がし、フィーネは殺気だった瞳で振り向いた。
「大丈夫だ…落ち着きなさい」
しゃがれた年輩の声。
顔を見る間もなく、フィーネは体を抱きとめられた。
人に抱きしめられて恐怖感がないわけではない。
しかし、そのぬくもりは懐かしい匂いがした。
それに増して、土の匂い。
…この人を、私は知っている。
そんな気持ちになれた。
「ペール!」
ナタリアが言ったその名前にフィーネは目を見開いた。
「ペー…ル…?」
聞き覚えのある名前だ。
どこで聞いたのか。
もうずっと前のことだった気がする。
たしか……
「少し黙っていて下さい」
フィーネが自分に気づいたと察したのか、ナタリアには聞こえないようにペールと呼ばれたこの男は囁いた。
フィーネはこくりと頷き、彼から身を離す。
改めて見たその顔は、少し痩せたような感じもするが確かに以前会ったことのある老人だった。
しかも、それはガルディオス家の屋敷で。
「ナタリア様、私のような者がしゃしゃり出たこと、どうかお許し下さい」
ペールは深々と王女に敬礼すると、ナタリアはいいえと首を振った。
「おかげでフィーネも落ち着いたようですわ。彼女、私の新しい世話役ですのよ」
「これはこれは。私はファブレ公爵様のお屋敷で庭師を務めさせて頂いております、ペールです」
こほん、とすぐそばに立っていたラムダスの咳払いがした。
彼はどうやら、身分の違うナタリアとペールが話すことが気にくわないと思っているようである。
身分に固執すること以外は性格は穏やかで、良い執事なのだが。
「それでは私は御前を失礼します」
ペールは会釈をし、そっとフィーネに耳打ちをした。
「あとで…私の部屋で話をさせて下さい。勿論お一人で。よろしいですかな?」
フィーネは、はいと返事をし、彼に一礼をした。
そして再びナタリアに手を引かれ、屋敷の中庭へと向かったのだった。
ペール。
ペールギュント・サダン・ナイマッハ。
かつて、ガルディオス家の盾と呼ばれた男である。