05.「何も知らないよ」
私と彼の、『本当の』関係。
「……宿をとる」
ベルケンドの入口まで来たとき、一行の先頭に居たアッシュはそう言って、皆の ほうを振り返った。
「あれ?このままワイヨン鏡窟まで行くんじゃないの?」
癖なのかいつものように両手を腰に置き、ツインテールを揺らしながらアニスが 問うた。
アッシュがそのアニスではなくフィーネを睨む。
思わず小さな悲鳴をあげ、体から湧き出る冷汗を感じながら、フィーネはアッシ ュの瞳をただ見返した。
「……気が変わっただけだ」
目をそらせそう言うと、アッシュは宿屋へと引き返し始める。
ジェイドは眼鏡の奥で揺らめく赤い瞳をアッシュに向けたあと、ひとつ息を吐い た。
「まあ良いんじゃないですか。久しぶりに揺れないベッドで落ち着くのも」
その言葉をきっかけに、皆も宿屋へと向かう。
「置いていってしまいますわよ、フィーネ」
ナタリアがそう声をかけるまで、フィーネはその場に固まったままだった。
コンコン、とドアを叩く小さな音。
ベッドに座って、ガイの身を案じていたフィーネは、誰だろうとドアノブに手を かけ扉を開いた。
目に入ったのは深い赤い色した髪。
アッシュがそこに立っていた。
「えっ…あ…えぇ?!」
「邪魔するぞ」
訪ねてくる理由などないはずのアッシュが、硬直するフィーネの横をすり抜けて 部屋へと入る。
「どどどどどうして…」
アッシュは不機嫌そうに腕を組みながら、フィーネが後ろ手でドアを閉め、冷汗 をだらだらと流している様子を見、口を開いた。
「おまえを初めて見たときから気になることがある」
ルークを思い出すその顔立ちは、眉間に皺を寄せたままフィーネの目を一心に見 ていた。
微動だにすることさえ許されないかのような空気がこの一室に流れている。
「おまえは何者だ。ガイと何の関わりがある」
「っ!?」
その一言にフィーネは大きく瞳を見開いた。
どきりと脈打った心臓はそのまま早鐘を打ち続けた。
「その顔も瞳も髪の色も剣さばきも、気味が悪いくらいあいつと同じだな。違う のはガイが男で、おまえが女だということぐらいだ」
アッシュの刺さるようなこの視線は、常々彼女に向けられていたのだろう。
何故気付かなかったのだろうとフィーネは悔いた。
……言えるわけがない。
ガイは恐らく、アッシュ―――誘拐される前のルークにも自身の素性を明かして はいないのだろう。
そして信用してもいない。
レプリカ研究所でのアッシュに向けられた視線を思い出せば一目瞭然だ。
当人にも伝えていない自分の立場を彼にいうことなど出来るはずもない。
フィーネは一層体をこわばらせ、唇を噛んだ。
「答えろ!おまえはガイのレプリカなのか!?」
「………え」
アッシュが声を荒げ、吐いた言葉はフィーネが予想していたのとは全く違うもの だった。
「私が……ガイ様のレプリカ…?」
何故そんなことを言われたのか、フィーネは一瞬、わからなかった。
ぐらりと地が揺れた気がした。
平衡感覚を失ったかのようなそんな錯覚。
右手で自分の額を押さえる。
その手はブルブルと震え、普段よりも遅い速度でフィーネの額へとたどり着いた。
———-天が嘆き悲しむとき、汝に似た金色の髪と碧(みどり) の瞳をした少女、マルクトの小さな島に 現れる。
その子、汝の影となりて一生を共に生きるであろう。
自分が彼に似ている……それはあくまでも血も繋がっていない他人としてだと。
そう、思っていた。
そうだと思いきっていた。
けれど自分にはガルディオス家に至るまでの記憶もない。
もしかして…もしかして……。
………何故、アッシュの一言が此処まで自分をおかしくさせるのか。
それは、心のどこかで彼に似ている自分を自問していたからではないのか。
「……違います。私は……私はガイ様のレプリカじゃ…ない」
「どうしてそんなことが言える。レプリカじゃないと言いきれるような理由 を何か知っているのか!?」
「知りませんっ!……そんなこと……そんなこと知らない。何も……知らないよ 」
頭(こうべ) を垂らし、振り絞るように出した言葉。
アッシュではなく、自分に言い聞かせるように言った言葉。
一歩また一歩と足を踏み出し、ベッドの横に常備品として置かれた鏡の前にたつ 。
鏡の中の自分は今にも流れだしそうな涙を堪え、ここに居る自分を不安そうに見 ている。
金色のその髪、青とも緑ともつかない瞳の色、顔立ち。
同じ。
あの人と同じ。
「………もうやめたらどうですか、アッシュ」
油のきれかけた蝶番が音をたて、ドアが開く。
フィーネは振り返ることなく、鏡の中を見続けている。
「……ジェイドか」
神妙な面持ちでジェイドが部屋に入り、ドアを閉めた。
「彼女はレプリカではありませんよ。レプリカが被験者と異なる性別になること は理論上起こり得ません。もちろん、そんな研究結果なども報告は一切ない」
そしてジェイドは鏡に対峙し続けるフィーネの側に寄る。
けれど彼女は視線を彼に移さなかった。
「残された可能性はたったふたつです。フィーネとガイが血縁者なのか。それと も、ただ単にそっくりな顔をした赤の他人なのか」
そっとジェイドはフィーネの背に手を添えた。
彼女の体はピクリと反応したあと、カタカタと震え出した。
涙を流したのではなく、恐怖症の症状が出たのだろう。
それでもジェイドはその手をすぐに離すことはしなかった。
「……フィーネもアッシュももう休みなさい。明日は早いですよ」
チッと舌打をしたアッシュを連れて、ジェイドが部屋を出ていく。
「……あなたはあなたがやるべきことをやればいいんです、フィーネ」
扉が閉まる前、そう言ったジェイドの言葉がフィーネの耳に届いた。
* *
ファブレ公爵家の中庭に繋がる扉を開くと、そこには小さな広場と言っていい正円が模られたスペースとそれを囲むようにして植えられた花々がまだあどけない少女たちを出迎えた。
青く広がる空と気持ちの良い日差しが、中庭に降り注ぐ。
中央には赤く長い髪を靡かせた少年と、金髪の少年が何かをしている様子だった。
よくよく見てみれば赤い髪の少年は擦り傷いっぱいで、ふらふらになりながらも立ち上がろうとしているようである。
「ルーク! ガイ!」
ナタリアが声をかけると、2人はこちらを向き金髪の少年がにこやかに手を挙げた。
「あっ…」
思わずフィーネは彼を見つめる。
髪型も雰囲気も…身長も変わってはいるが間違いない。
「ガイラル…ディア…様」
思わず口をついて出た名前は、ほとんど息づかいと変わらないほど小さな声で、すぐそばにいたナタリアにも届かなかったようだ。
まさか、情報を得ようとしていたキムラスカで彼に出逢えるとは思ってもみなかった。
しかもこのファブレ公爵邸でなど。
赤髪の少年を立たせて背を支えながら一緒に歩いて来る彼に、何を話そうかとフィーネは緊張し頬を染める。
お久しぶりです、だろうか。
お逢いしたかったです、だろうか。
「ご機嫌いかがですか、ナタリア様」
金髪の彼がナタリアに一礼した。
赤い髪をした少年が訝しげにフィーネを見ていたが、彼女の目はずっと金髪の彼を追っていた。
その彼がふとフィーネに目を移した。
ドキッと心臓が高鳴る。
自分を覚えているだろうか?
「あ、あの…」
やはりそうだ。
ずっと追い求めていた彼。
自分の生涯の主。
最後に見たときから背も伸び、声も低くなった。
それでも顔立ちは変わらない。
自分によく似た、彼。
「君は?」
「え……?」
柔らかい笑顔で彼はフィーネに問いかけた。
……覚えていないのだろうか。
自分のことを忘れてしまったのだろうか。
それでも、名を名乗れば…。
「フィーネ・トスカです。今日よりナタリア様のお世話をさせて頂きます」
「へえ。じゃあ俺と同じだな。俺はガイ・セシル。ルーク坊ちゃんの使用人さ」
特に変わった様子もなくガイは自分の自己紹介をし、そして隣にいたルークの紹介をした。
フィーネのことなど全く知らないかのように。
人違い…なのだろうか。
いや、一人称も変わってしまったがこれは本人だ。
それだけは断言できる。
それは……
「やっぱり!髪だけじゃなく瞳の色も同じですわね!」
ナタリアはそう言い、ガイとフィーネを見比べる。
「ガイ……ふたり…」
たどたどしい言葉でルークが呟く。
ルークがずっとフィーネを見ていたのはガイとフィーネがどこか似ていたからだったのだろうか。
「何言ってんですか、ルーク坊ちゃん。俺なんかと一緒にされちゃ、この子も困りますって」
そう言ってガイは、一定の距離を取りながらフィーネをのぞき込む。
「ね。まだ笑顔を見せてもらってないよ」
「え……」
フィーネは頬を染め、一歩後ずさる。
真っ赤になった顔は熱いけれど、いつものそれとは違う。
「そうでしたわ。フィーネは対人恐怖症なんです。まあ…貴方に気をつけてという必要はなさそうですけど」
思い出したようにナタリアは言い、おもむろにガイの胸板に触れる。
「ひいぃっっ!!!」
一瞬でガイは身を引き、ルークの後ろへと隠れる。
フィーネはぽかんとその様子をただ見つめた。
震える彼はどこか、泣き虫だった幼い頃を思い出させる。
「ガイは女性恐怖症なんですのよ。ね、似ているでしょう」
ふふっ、とナタリアは笑った。
フィーネは未だ震えるガイを見、自分の症状を思い浮かべて思わず微笑んだ。
「そうですね」
ようやく落ち着きを取り戻したガイは、フィーネの笑った顔を見て目を細めた。
こうして、2人は”再会”した。
けれど、まだお互いの素性を打ち明けることはない。