あぁ、くそ。
俺はとんでもないヤツを好きになっちまったみたいだ。
勝算なんて、ゼロじゃねえか。
「L!O!V!E!リョーマ様ぁ!」
放課後の男子テニス部のコートに小坂田朋香の声が響いた。
そう珍しいことではない。
時間が空けば必ず彼女はこの場所で応援を始める。
愛しの『越前リョーマ』に向かって。
「ちっ」
海堂は彼女を横目に見、舌打ちをした。
少し前なら、ただ耳障りだとしか思わなかっただろう。
ボールの跳ねる音や打つ音が聞こえ、部長の飛ぶ指示の声。
それを聞くことが海堂は好きだった。
けれど、それは以前までのこと。
朋香の応援する声も、日常としてとけ込みつつある。
そのことに関しては今はなにも言うことはない。
…はっきり言えば、彼女が来ることを楽しみにしている自分もいるのだ。
だからこそ、不愉快なのは、朋香の応援する相手が『越前リョーマ』であるとい うこと。
海堂は長くため息をついた。
どうしようもねえことをいつまでもぐじぐじ考えて何になる。
「気がたってるな海堂」
「いっ、乾先輩…」
どこからともなく現れた乾に、海堂の声が驚きで上ずった。
「通常、朝練では起こらないが放課後の練習になるとボールのコントロールがわ ずかにずれるな。2週間前にはそんなことはなかった。体力というより精神的に 何かあるような気がするんだが、違うかい?」
「違うっ!」
海堂はそう言い、乾をにらんだ。
「んなことより、少しくらい打った方がいいんじゃないッスか。アイツなんかも い50球は軽く超えてるっスよ」
海堂の言葉は最後で乾の声にかき消された。
「アイツ…越前か。…なるほど。いいデータだ」
「けっ」
海堂は乾がノートに鉛筆を走らせるのを見て、きびすを返した。
またこのデータオタクは。
「何か勘違いをしているようだが」
鉛筆を止め、乾が海堂に声を発した。
「今とったのはお前のデータだよ、海堂」
ピタリと海堂は立ち止まる。
だが、再び歩き始めた。
乾と海堂の距離が離れていく。
「これでお前がここ最近、何故調子がおかしいのかわかったよ」
乾は、フェンスの向こうの朋香を眺めた。
そしてノートを閉じ、海堂の後を追う。
彼の向かい、ネットの向こう側へと歩を進めた。
海堂がヤキモチを妬く、なんてな。
途切れた威勢の良い応援の声。
「…お前の勝算はゼロでもなさそうだ」
越前ではなく海堂を見つめる彼女の、朋香の視線。
海堂が、ボールを空高く投げた。
ボールを打つ音が、心地よく響く。