前の日

「そろそろ来る頃かなーって思ってたよ」
「……チッ」

小さな舌打ちをして、リヴァイが後ろ手にドアを閉める。
右手には湯気の上るマグカップが2つ。
中身は分かる。
彼好みのコーヒーだ。
けれど、その彼好みの味がハンジは好きだった。

「ありがと」

ギシギシなる椅子から立ち上がり、カップを受け取る。
そして、どっかりベッドに座り込んで、彼も隣へ促した。

「楽しみだね、明日」
「何が」

短く聞き返される。
そりゃあ、貴方は楽しみなわけがないか。

「外に出られるからさ! あ〜早く会いたいなあ〜、巨人ー!」
「……この奇行種が」

グイッとリヴァイがコーヒーを飲んだ。
ハンジもゆるゆると傾けたあと、口に含む。
苦い味が広がり、いいにおいが鼻を包んだ。

「……リヴァイはさ」
「あ?」
「どうして壁外調査の前日は、私のところへ来るの?」

兼ねてからの疑問をぶつけてみる。
リヴァイはまた少しすすって視線を反らした。

「……たまたまだ」
分かりやすい嘘だ。
ハンジは無言でコーヒーを飲み干した。
じんわりと体の中を温もりが広がっていく。

「ハンジ」
「ん? っ、ふ……っ」

キスをされた。
名前を呼ばれて、顔を横向けると同時に。
この良い香りは、自分だろうか。
それとも、彼?
ぷちゅ、と小さな音を立てて、唇が離れる。
リヴァイの髪が、ハンジの頬をくすぐった。

「……いいか」

答えなんて決まっている。

「もちろん」

気づけばリヴァイのマグカップは、既にサイドテーブルに避難されていて、ハンジの手の中のものも、彼にひょいと持ち上げられた。

「あっ、ちょっと私の……」
「たらたら飲んでいるからだ」

呆気なく飲み干されて、それも避難。
なんのために持ってきてくれたのか分からなくなる。

(いや、ただの口実か)

人類最強と言われる彼の、子どものような不器用さに笑みがこぼれた。

「何笑ってんだ、クソメガネ」
「なんでもないって、可愛いな。リヴァイは」
「あぁ?」

彼の頬に触れて、今度は自分から口づける。
薄い彼の唇を舌でなぞった。

「ッ、メガネくらい外せ」

言われて、取り上げられる。
抗議をする前に、再びキスされた。
下唇を吸われて、啄んで、そして舌を入れる。
いつだって冷静に見える彼が、熱くなるその様を感じるのが、ハンジは好きだった。

「んっ、ふっ……」

そのまま、ベッドに押し倒される。
慣れた手つきで髪を解かれた。
ああ、思えば何度目だろう。
こうして、彼に抱かれるのは。

「……ハンジ」

唇を離して、リヴァイが呟く。
その声はほとんど息が混じって掠れた。

「お前は暖かいな」
「は……?」

言葉の意味を理解できずに、ハンジは目をぱちくりさせた。
リヴァイは構うことなく、彼の頬へ、首へと唇を這わせる。

「ちょ、ちょっとリヴァイ?」

くすぐったくて、制するように両手で彼の頬に触れた。
それでも彼は止めることをしなかった。

「っ━━━━」
「いっ……」

痛みとは言えないほどの小さな痛みが首筋に走った。
リヴァイが離れると、それはじんじんと緩やかに広がってくる。
「……なぁ、ハンジよ」
「ん?」

ぼやけた視界で彼を捜す間もなく抱きしめられた。

「……お前は俺のいないところで死ぬな」

そうか。やっと分かった気がする。
貴方がここに来る理由が。

「それは、私を見くびってるってこと? 一応、分隊長なんだけど?」
「可愛げのねぇ女だな」
「知ってるでしょ?」

笑みをつくる。
すぐに、吹き出した彼の声が聞こえる。

「違いねえ」

ああ、そうか。人類最強の英雄ではなくて。
ひとりの人間であるリヴァイがここにいる。
明日の壁外調査でも、多くの人間の命が危険に晒される。
自分自身もいつ、どこでどうなるかわからない。

「……ここに置いていってよ。そんな弱音はさ」
「もうとっくに置いていってる」

噛み付くようなキス。
もっと、とせがんで。
更に深く唇を重ねて。
触れた肌と肌のぬくもり。
少しの隙間も許せなくて、きつくきつく抱きしめる。

「死なないよ、私は」

そう言うと、ハンジを抱きしめるリヴァイの腕に力が入った。

……貴方が弱くなれる場所がなくなってしまうから。