「あっ……」
「んあ?」
PM07:45 沖奈駅前────
巽完二は、白鐘直斗を見て、目を丸くした。
そして。
「っ……」
「たつ……あっ」
今来た道を逆方向へと走りだした。
「誰だよ、ナオちゃん。もしかして、知ってるやつ?」
「う、ううん……! 知らない人」
隣の男性に下手な作り笑いをする直斗を残して。
「それ、めっっっっちゃくちゃ誤解してるよ! バ完二のやつ!」
「は、はぁ……やはりそう、です、よね……」
ジュネスのフードコートに自称特別捜査隊の面々を前に、直斗は小さい体をより小さくさせて呟いた。
正しく言えば、お菓子コーナーのチョコを拝借した罰でバイトに明け暮れているクマと、今話題になっている完二を抜いた面々、ということになるのだが。
「と、いうか。それは誤解するのもしゃーないっつーか……。なんで若い男と腕組んで歩いてたりしたんだ? 直斗を前にして言うのもなんだけど、クロだろ! それ!」
「あんたねー……。直斗君が普段何の仕事してるか思い出しなさいよ」
女ってこえーっと顔全体で表現する陽介を、千枝が諌める。
直斗は表情を曇らせたまま頷いた。
「……はい。ターゲットは逮捕され、事件が解決したので言えることなのですが……。あのとき僕はおとり捜査をしていました」
以前から世話になっている刑事からの直々の依頼。
援交斡旋グループの首謀者を炙りだして欲しい──……。
今覚えば、自分が出なくても“彼女”ならすぐに解決した事件だっただろう。
彼女は直斗に経験を積んで欲しい、と言ってはいるが、半分は『面白そう』という個人的感情が入っていたことは否めない。
(恨みますよ……瞳子さん)
小さくため息をつく。
彼女の押しにはどうにも弱い。
「おとり捜査って言ったって、男の人とイチャイチャしてる直斗くん見たら……完二くん、ショック……だよね」
切なげに目を伏せて雪子が言う。
直斗は、出会い頭の完二の顔を思い出していた。
信じられない、というように見開かれた瞳。
すぐに踵を返して走っていってしまったから、そのあとはどうなったかわからない。
「まず直斗がイチャイチャしてるところがあんま想像できないもんなー」
「直斗」
陽介が疑問を吐露した直後、それまで黙って聞いていた鳴上が口を開いた。
自然と皆の目が鳴上に集まる。
「……完二とはどこまでいってるんだ?」
「は?」
思いもよらなかった人物から、思いもよらない質問を浴びせられ、直斗は少し困惑した。
だが。
「あー! それあたしも気になるーっ!」
「それは聞いたことなかったかもっ!! さっ、お姉さんに教えてごらんなさいっ」
「Aか? Bか? はたまたCか? そ、そこはオニィさんにもだねえ」
「こんの、アホ村! 女の子に向かって何聞いてんの!?」
堰を切ったように一斉に質問の洪水を浴びる。
さすがの直斗も戸惑わずには居られなかった。
「お、おおおっ、落ち着いて下さい!」
……そうだ。
あれからどれくらいが経つだろう。
直斗と完二は恋人同士、とくくられる関係にまで発展していた。
「ぼ、ぼぼ、僕と巽くんはまだ……そんな」
顔から火が出るようだった。
まだ彼とそうなった、という事自体、直斗はまだ受け入れきれていなかった。
……よく考えると、3ヶ月は経っていたのだけど。
「まだって言ったってぇ~、チューとかしてるんでしょ~?」
「んなっ! そ、そそそそんなことっ」
「まさかもうすでにやっちゃった!? 大人の階段登っちゃった? 俺、完二にさき越されちゃった!?」
「ハイハイ、アンタはもう黙ってて! んでさ、実際のその辺、どうなの?」
「えっ、いやそそ、そんな」
「手を繋ぐ、くらいはしたんでしょ?」
「ま、まま、まだ僕たちは……!」
体のどこかしこも熱くなる。
矢継ぎ早に飛び出してくる質問の数々は、直斗にとって刺激の強いものばかりだった。
巽くんとき、ききき、キス!? 手を繋ぐ!?
想像すればするほど、体温が上昇していくのがわかる。
「直斗、お前たちまさか……」
鳴上の最後の問いに、直斗はただ頷くしかなかった。
少し前の言葉で言えば、自分たちは“ウブ”というやつなんだろう。
手を繋ぐのも、腕を組んで歩くのも、ましてやキスなんて、想像するだけでお腹いっぱいだ。
事件の捜査書類をベッドの上で眺めながら、直斗はふと完二のことを思う。
……確かに、付き合っている彼とは手も握っていない状態なのに、おとり捜査のターゲットとは仲睦まじく……なんておかしな話だ。
完二に対してそんな気が起きない、というのも嘘になる。
今まで恋愛事に興味はなかったが、好きな相手と触れ合いたいというのは自然な感情だろう。
だが、いざと考え始めると気恥ずかしさが勝って、なかなか行動に移せなかった。
恐らく、完二もそうだろう。
「明日は……学校に来てるかな、巽くん」
思わず、考えていたことが口に出る。
あれ以来、彼と顔を合わせていなかった。
教室にも被服室の前にも彼の姿はなく、同じクラスの生徒に聞くとここ2日くらい休んでいるとのこと。
おとり捜査で彼と出くわしてしまった次の日からだった。
巽屋へ様子を伺いに行こう……そうも考えていたけれど、足を向ける勇気が出なかった。
何を恐れているんだろう。今はとにかく謝らなければならないのに。
ジッ、ジジッ────
ついていなかったはずのテレビから発せられた奇妙な光と音に、直斗の思考が止まる。
「なんだ……?」
砂嵐の奥に人の影が見える。
濃くなったり薄くなったりで、いまいちはっきりしない。
「まさか、マヨナカテレビ!?」
カーテンが閉められた窓から、シトシトと雨の音が聞こえる。
やはり間違いない。
ジッ───ッ!!
ひときわ大きなノイズが聞こえたかと思うと、一瞬だけ影が鮮明になる。
「た、つみ、くん……?」
直斗が呟いた途端、テレビはプツッと沈黙した。
静寂を取り戻した部屋に、雨音が響く。
心臓がけたたましく鐘を鳴らす。
「どうして……」
ベッドの上では、ディスプレイに『久慈川りせ』の名前を表示させた携帯が震えていた。
何故気づかなかった。
何故消息を確認しなかった。
自責の思いばかりが頭をよぎる。
しかしどう考えても理解できなかった。
まだ事件は続いている────ということだろうか。
いや、確かに自分たちは終わりにしたはずだ。
なのに、どうして。
「まぁーったくカンジってば、人騒がせねー」
皆がメガネを装着すると同時に、クマが声を上げた。
直斗たち──完二を除く自称特別捜査隊は、再びテレビの世界へとやってきた。
「……確かにもうここに来ることはないと思っていた」
大剣を握り直して鳴上が言う。
誰もが同じ気持ちだ。
「事件は終わってないのかな。私たち、まだやり残したことがあるのかな」
不安そうに雪子の瞳が揺れる。
大丈夫だよ、と明るく答える千枝もどこか無理しているように見えた。
「どちらにしても同じだ。完二を助け出す。りせ、アイツの居場所はわかったか」
「うん! バッチリだよ、先輩! 前にも完二がいたっていう、サウナに気配を感じる」
鳴上の問いに、りせが大きく頷いた。
その答えに陽介は一歩後ずさる。
「んげっ! やっぱし……。俺、あそこ苦手なんだよなー。あの、よくわからんぬめっとした熱気が!」
「行きましょう。立ち話をしている時間はない」
そう言うやいなや、直斗は走り出していた。
「あっ、直斗!」
りせの声が後ろに聞こえる。
けれど、立ち止まる気はなかった。
ジリジリとした熱が肌を刺す。
吹き出る額の汗を拭って、直斗は拳銃を握る手に力を込めた。
何度思い返しても早計だった。
シャドウが溢れる場所にたった1人で突っ込むなんて、どうかしている。
だが、一刻も早く彼と顔を合わせたかった。
助けたかった。謝罪したかった。
全包囲から来る高温と、戦いの疲労で喉に痛みを覚えたが、気づかない振りをして上を目指す。
「巽くん……」
走りながら、最後に見た顔を思い出す。
あんなに辛そうな表情は、初めて見た。
自分を見失いそうなとき、いつだって叱咤してくれた彼が、いつのまにか背中を預け合う存在になった彼が。
唇を噛む。
早く行かなくては。
気持ちばかりが焦って仕方がない。
『……ったんだろう……』
「!?」
そのとき、静寂に包まれていた空間に声が響いた。
『“興味”なんて、ただの仕事の上でのことなんだろう?』
「巽くん……!?」
足を止めて辺りを見回しても、完二の姿はない。
と、すれば。
これは……完二の心の声なのだろうか。
『舞い上がったりなんかして損したよ。ボクに悪意なしの興味を持つ人間なんていないんだ』
「僕の……ことか?」
最初に完二と接触した時のことがよぎった。
『君に興味がある』。そう言って彼に近づいた。
『大切な人がまた離れていく。小さな頃と同じように。ボクはどうすればよかったの?』
泣きべそをかいたような声。普段の彼からは想像も出来ないような言葉。
『もっと好きだって伝えたかった。君さえ良ければ抱きしめたかった。手を組んで街中を歩きたかった』
「巽……くん……」
これが、彼がずっと感じていたことなのだろうか。
胸が痛む。
おとり捜査は、恥ずかしくて断りたい気持ちもあったけれど、仕事と割りきっていた。
完二の気持ちなど何も考えてはいなかった。
『本当は嫌なんだろう? 本当は男として生きたいのに、ボクがいるのは迷惑なんだろう?』
「えっ……」
どこからか聞こえるこの声が、今までのように個人の感情から起因するものだとしたら。
「巽くん、君はもしかして……!」
『だって、ボクが君の一番嫌いなタイプなんだろう?』
「くそっ!」
直斗は再び走り始めた。
(巽くん、君は……君は僕のことを……)
熱気でフラフラする、などと言っていられない。
目の前が涙で滲んでくる。
それでも直斗は走るスピードを緩めなかった。
「っハァ、ハァ……ッ! 巽くんッ!!」
階段を駆け上がり、一際大きな扉を開く。
広い部屋の真ん中、白い湯気の向こうに、人影がひとつ立っていた。
「我は影、真なる我……」
ドキリと心臓が脈打って、直斗はその正体に身構えた。
「君、もしかして1人で来たのかい? ボクを嘲笑いに」
人影が振り返る。
完二ではない。彼は完二の影(シャドウ)だ。
「君を嘲笑うつもりはない。……巽くんはどうしたんだ」
「んふ。ホンモノはソ・コ。ボクと戦って伸びちゃったみたい」
影の指差す場所に、ボロボロになった完二が倒れていた。
「巽く……っ」
「おっと、部外者は出てってくれないかな。ボク達はこれから体を重ねあわせて1つになるんだから」
駆け寄ろうとする直斗を完二の影が制す。
そして、ニヤリと黒い笑みを浮かべた。
「ボクと戦う気? 戦ってどうするの? 今までどおりホンモノを騙して恋人のフリを続けるつもり?」
「違う! 僕はそんなつもりは……!」
「……大切な人はボクから離れていく。どうして? 気持ち悪いから? 粗暴だから?」
「そんなことは思っていない!」
「だったら!!」
完二の影が声を荒げた。
直斗は驚いて言葉を無くす。
「ボクがずっとずっとしたくてできなかったこと……ずっとして欲しくて言えなかったこと、どうして君は別の男にできるんだ!」
「あ……っ」
周りはこんなに熱気に満ちているのに、直斗は体中の熱が引いていくのを感じた。
「ボクのこと好きになってくれたんじゃないの? 嫌いになったの? 君があんなに近くに居たこと一度だって無い」
違う……首を振り、口はそう形作るけれど、声にならなかった。
完二の影に押しつぶされてしまいそうだった。
「君は大人の男に憧れていて、なのに男と付き合って、だから君がツラい想いをするのが嫌で嫌でボクは臆病になった。だけど君は……君はボクを、ボクを裏切った!」
「巽くん……僕……は……」
お互いに緊張しあっている────
ずっとそうだと思っていた。少なくとも自分はそうだった。
だが、完二はそうではなかったのか。
仕事……だった。
それでも事情を知らない、いや知っていたとしても彼を大きく傷つけたことに変わりはなかった。
学校からの帰り道、休日、ふと二人きりになった瞬間の完二が思い起こされた。
照れたようで、かっこつけたようでいて、自分のことをこんなに考えてくれていたなんて。
「……それ以上、言うんじゃねぇよ。胸糞ワリィ」
「! 巽くん!?」
影の後ろで、完二がヨロヨロと立ち上がった。
アザだらけの顔が痛々しい。
「直斗、どうして来た」
完二が直斗を睨む。
今まで向けられたことなどない、敵意に満ちた目だった。
「弱い俺を笑いに来たのか? それとも、別れの挨拶でもしに来たのかよ」
「そんなわけないでしょう! 僕は君を心配して……っ」
「ハッ! ……そうかよ。情けをかけに来たってぇわけだ」
突き放されたような言葉。
心臓を握り潰されたような思いがした。
こんな言葉をかけられるようなことを、自分はしてしまったのだ。
「まだやる気? 君にそんな力が残ってるの? 君が強いかどうか、いや、彼女が理想とする強い男らしいかそうでないかなんて、彼女に裏切られた時点で、わかってるじゃないか」
「ウルセェ」
「巽くん……」
「ウルセェよ、漢と漢の勝負に口を挟むんじゃねえ」
勝負、だって?
直斗は考えを巡らせた。
もしかして、完二は自分からテレビの中へ入ったのではないか。
漢と漢の勝負……つまりは、直斗が離れてしまったことで、己のどこが弱かったのか、己自身を見つめなおそうとしたのではないか。
「……君は全く悪くない。悪いのは僕の方なのに」
足を引きずりながら、完二は自分の影と間合いを取る。
このままでは、また意味のない戦いが行われる。そして恐らく、完二が……負ける。
そうなったら……想像したくもなかった。
「巽くん!」
「なっ!? どわっ!?」
直斗は走り出していた。
影の横をすり抜け、完二へ向かって一直線に。
そしてそのまま、完二へと抱きつき、二人で倒れこんだ。
「いっつつ……何しやがる!」
「ごめん……巽くん。君が目にしたものに僕は、言い訳するつもりはない。どうあれ、僕が至らないから起きてしまったことだ」
彼の胸に額を押し当てる。
ふと後ろ髪に彼が触れた気配がした。
目深にかぶっていたはずの帽子は、先ほどの衝撃でどこかに飛ばされたようだった。
直斗は顔を上げ、完二の目を見つめた。
「だけど、信じて欲しい。僕の心は誓って君にまっすぐ向いている。君のことが僕は……僕は……」
いざ言葉にしようとすると難しい。
体中が熱くて、溶けてしまいそうだ。
「……好き、だ」
そう言った瞬間、完二が体を起こしたかと思うと、すぐに直斗は強い力で抱きしめられていた。
「……信じて……いいんだな。お前と、お前と一緒にいても……いいんだな」
完二の声は少し震えていた。
表情は見えていなかったけれど、泣いているようだ。
「うん……僕は、君と一緒にいたいよ」
少し顔を起こして、完二を見る。
彼の目はやはり、潤んでいた。
脈が早くなるのを感じながら、直斗は決心をして彼に顔を近づける。
「いい……のか?」
吐息の感じる距離で、完二が言った。
「うん。君とだから、ね」
瞼を閉じる。
そして唇に訪れる柔らかな感触。
長く、そして啄むように。
……完二の影はどうなっただろう。
一瞬、そんな疑問がよぎった。気配を感じない。
完二の迷いが晴れたときに、彼の中へと戻ったのだろうか。
────と。
すぐに何も考えられなくなる。
彼のキスの雨が次から次へと、降り注いできたから。
「完二ィーーーーッ!!」
「直斗くん!!」
しばらくして、自称特別捜査隊の面々が乗り込んできた。
中にいたのがその二人だけという状況に肩透かしをくらったような顔をしていたが、すぐに安堵の声がもれる。
階下のフロアで、タフガイ達の襲撃に合い足止めをされていたことをクマが憤慨しながら伝えてくれた。
「仲直り、できたみたいね」
自分のことのように嬉しいという表情をして、りせが直斗に言う。
「はい。おかげさまで」
そう答えて完二を見ると、彼は既に隣にはいなかった。
「ったく、このバ完二!! 余計な心配かけさせんなっつの!」
「あたっ! 叩くことねぇーだろうが!」
「なんにせよ、無事で良かったよ」
そんな男性陣の掛け合いを眺めて、直斗は笑みをこぼす。
この世界から戻ったら、もう一度、完二に謝ろう。
そしてまた、僕達らしい恋の形を見つけていけばいい。