「……だから、薬師寺さん! 僕にはこんなの必要ない……っ」
「直斗……か?」
無理矢理振り袖を着せられて、強引に連れてこられた料亭の一室。
呼ばれた自分の名に目を見開く。
「たつみ……くん?」
懐かしい、けれど見慣れない雰囲気に身が引いた。
ずっとずっと好きだった人。
いつからか諦めた人が、今目の前にいる。
「お見合い……ですか」
白鐘家の秘書である薬師寺が持ってきたのは、難解な事件の資料ではなく、お見合い写真の山だった。
「はい、大旦那様も心を痛めておりますよ。仕事ばかりで……そろそろ身を固められてはと」
「……僕は仕事の方が大事なんです」
渡された写真を眺めることもなく、机の脇に置く。
どうせ会うことはないのだから。
「そうおっしゃるかと思いまして」
薬師寺は、笑みをたたえて眼鏡をかけ直した。
「実は1件予定を入れておきました。向こうはお医者様! これで白鐘家も安泰です!」
「なっ……!? そんな勝手な!」
「直斗様の予定は熟知しておりますとも。さあ、準備がありますから参りましょう」
「えぇ!? 今からですか!?」
薬師寺に強引に手を引かれ、直斗は前へつんのめりそうになるのをなんとか踏みとどまった。
こうでもしないと直斗様は行きませんから、と薬師寺はまた眼鏡に手を当てる。
(本当に熟知されている……)
彼の手を振り払うことが出来ず、直斗はため息をついた。
その相手が、まさか巽完二だったなんて。
さすがの直斗も予想がつかなかった。
定番の『あとは若い2人で』が実施され、今はその言葉通り、直斗と完二の2人だけだ。
目の前に正座する彼をマジマジと見つめる。
高校を卒業して以来、もう何年になるだろうか。
仲が良くなった頃、鮮やかだった彼の金髪は、3年に上がる頃には黒くなっていた。
眼鏡もかけて、あれだけ勉強は苦手だったのに驚くほど真面目になって。
口調や性格は相変わらずだったけれど、なんというかすごく丸くなった。
「……こっちに帰ってたんだね」
「それはこっちのセリフだけどな」
辿々しい会話に、更に緊張が増した。
ピシッとしたスーツ。
かたや、澄んだ青色をした振り袖。
慣れないキツイ化粧品の香り。
お互いに“らしくない”。
そんな状況も、2人の間に流れる空気をぎこちないものにしている。
「巽くん」
「あ、あん?」
自分が声をかけると、少し動揺するのは変わっていない。
……いや、距離を置いていたからかもしれない。
「お医者さんになったんですね。なんだか驚いた」
「ま、まあな。小児科で……まだ新米だけどよ」
そう言って、完二は首に手を当てて笑った。
その表情が、最後に会った卒業式のことを思い起こさせた。
桜の木の下、あの時も首に手を当てて、何かを言おうとして。
“やめた。元気でな”
小さく微笑んだ完二の顔が鮮明に浮かび上がってくる。
進路を決める大切な時期に、事件で全国を回っていたせいで、彼の進路もよく聞けずじまいだった。
(あのとき何を言おうとしていたんだろう)
今更ながら気になった。
「お前は相変わらず飛び回ってんのか」
完二の問いに思考を中断して頷いた。
「うん。今は院に通いながら仕事しているんだ。……だからまだ学生」
「勉強熱心なんだな、相変わらず」
完二が姿勢を崩して頬杖をつく。
なんだかどきりとした。
「……どうして、お見合いに?」
そんな問いが口から出た、完二は気まずそうに頭を掻く。
「……オフクロがそろそろ身を固めろっつってよ。オレはまだ別にいいんだがな」
「そっか」
自分も同じだ。
なのにどうしてか、少し寂しさが言葉ににじんだ。
ハッとして、言い繕うとすると。
パンッと完二が手のひらを合わせた。
「すまねえ。別にお前がどうというわけじゃねえんだ。……実はよ、ここに来るまで相手が直斗だって知らなくて」
「そんな、僕も……」
それも同じだ。
相手を知らず、しかも『必要ない』とまで口走ってしまっている。
それに気づいて、すうっと血の気が引いた。
拒否した、と思われているのではないか。
彼を知った上でここへ来て。
「でも、今日はお前で良かったって思ったぜ。……ここへ来てよかった」
「巽くんっ! 僕もっ」
思ったよりも大きな声が出て、自分でも驚いた。
けれど、言わなければと思った。
これでは、あのときと変わらない。
「……僕も、相手が君だって知らずにここへ来たんです。だから、その、始めの『必要ない』は撤回させて下さい」
膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめる。
好きだった。
君のことが好きだった。
現実とは思えない空間で戦って、その姿に、言葉に何度励まされただろう。
君はいつだって、周りを気遣って、優しくて。
心が折れそうなときには、いつだって君がいた。
━━ああ、そうか。
僕は、ずっと君を思い出さないように忙しさに逃げていたんだ。
“やめた。元気でな”
あの言葉の意味を知るのが怖くて。
「なに、泣きそうな顔してンだよ」
畳に置かれたテーブル越しに伸ばされた手が、頬に触れた。
桜の木の下、帽子に花びらが舞い降りて、あのときと同じように彼は自分へと手を伸ばした。
「直斗?」
彼の手に、自分の手を重ねる。
震えている。
けれど、もう逃げたら最後に思えた。
「君が……好きです」
だから、しまい込んだ気持ちを━━
がたんっ、とテーブルとその上に置かれた品の良い食器が音を立てた。
目の前が暗くなって、しばらくして抱きしめられたのだとわかった。
「……本気にしても……いいのか」
耳元で囁くように完二が言う。
頷いて口を開く。
「……聞かせて下さい、卒業式の続き」
ビクリと完二の大きな体が震えた。
背中に回された腕に、手首を抑えられた手に力が込められる。
「…………好きだ、直斗」
ずっと廻り道をして。
お互いの本意を知ることが怖くて。
勝手にもうダメだと諦めて。
……帰ってきた。
そう思えた。
あるべき場所に。
「オレと、お付き合い……してくれますか」
改まって言われた言葉に、直斗は額を彼の肩に押し付けて、
「はい」
涙と笑顔の混じった顔で答えた。