Canzone del falso

「……いつから気づいていたんですか」
「初めから、だ。骨格が女のソレだ。……ガキ共にはわからんだろう」

そう言って、リカルドは少し離れた場所にいるスパーダの背中を眺めた。
フィーネは同じように彼を見、そして目を細める。

「あいつには伝えないでくださいね」
「……了解した」

***

嬉しかった。
彼に笑顔を向けられることが。

誇らしかった。
彼と剣を交え、認められることが。

これが、彼女の“答え”だった。
彼の傍にいるには、これしか思いつかなかった。

フィーネがスパーダと出会ったのはもう、12年も前のことだ。
王都レグヌムの名門貴族のベルフォルマ家の近くに、フィーネ・トスカの家もあった。
フィーネの家は、ベルフォルマ家ほど大きくはなかったが、それでも貴族は貴族だった。
7人も兄弟のいるベルフォルマ家とは対照的に、トスカ家には2人の姉と、フィーネしかいなかった。
跡継ぎを望んでいた父は、3人目に生まれた娘であるはずのフィーネを男として育てたのだった。
綺麗に着飾って、淑女として成長する姉達と対照的に、フィーネは幼い頃から騎士の嗜みを教えこまれ、擦り傷や切り傷ばかりだった。
どうして自分ばかりが、と毎日思っていた。
剣術は嫌いだった。ただ痛いだけだった。
疲れきって眠ると、決まって嫌な夢を見た。
自分が剣になって、得体のしれない魔物を叩き切る夢を。
恐怖で目を覚まして、いつも泣きながら母の寝室に潜り込んでいた。

そんなある日、ベルフォルマ家から使いがあった。
“末っ子の剣術相手を探している”、と。
そこで出会ったのが、スパーダだったのだ。

***

「なーに、らしくねえツラしてやがる」

ハッとして声の出処に顔を上げる。……スパーダだ。
どうしてこういうことを考えているときに本人が登場するのだろう。
フィーネは、少し恥ずかしくなって顔を伏せた。

「隣いいか。ルカもイリアも寝ちまって、つまんなくてよ」
「ああ、いいよ」

スパーダの言葉に出た2人を一瞥する。
先程談笑していた場所で、仲良く寝息を立てている。
リカルドは見回りをしているし、コンウェイは向かいの木影で本を読んでいる。
アンジュも、エルを寝かしつけながら眠ってしまっているらしい。
言ってしまえば、今スパーダのとふたりきりだ。

「なあ、スパーダ」
「あん?」
「私と出会った頃のこと覚えてるか?」
「ん? あー……ガキの頃の話だからなー。でも、印象には残ってるぜ」

スパーダは腰掛けると、夜空を見上げた。

「なんたって、テメェがオレの“兄貴”だったんだからな」

フィーネ・トスカ。
前世は、ジュワユーズ。鍛冶の神バルカンの“息子”だった。

***

お互いの前世に気づいたのは、恐らく初めて会ったときだ。
顔を合わせた瞬間に持った違和感を、フィーネは覚えている。
懐かしいような、けれど遠い存在。
実際、前世でも相対したことはないような気がする。
2人が感じたのきっと、『バルカンの匂い』だったのだろう。
打ち解けあうのに、時間はかからなかった。

フィーネは、スパーダと一緒に、ベルフォルマ家の執事、ハルトマンに騎士の教えを受けるようになった。
スパーダは初めて出来た友達だった。
剣術の時間だけでなく、共にイタズラをしたり、出かけたりもしたし、怒られる時でさえ一緒だった。
フィーネにとって、スパーダは大きな存在だった。
2人でいるときが心地よくて堪らなかった。
剣術の時間に彼に褒められれば、どんなことよりも嬉しかった。
そうするうちに大きなモヤが彼女を覆うようになった。

『彼の隣にずっといるにはどうすれば良いのか』

彼が自分に接してくれる理由はなんなのか。
剣術相手として。遊ぶ相手として。根本を上げるなら、男──だからだ。

もうフィーネに迷う気持ちはなかった。
ならば、男として生きればいい。この先も、ずっと。

***

「んで? そんな昔話を思い出してたのか、お前は」
「そうだけど……悪いか?」
「別に、悪かねーけどよ」

そう言って、スパーダはその場に寝転んだ。
気持ちのよい風が吹く。

「……お前は後悔してねえか。オレとツルんでること」
「後悔してたら、今ここにいないよ」
「ハッ。違いねえ」

スパーダの顔は、焚き火のせいで揺らめいて見えた。
フィーネはそっと、目を細める。

「なぁ、フィーネ」
「ん? って、わっ!」

ぐいっと、服の襟を掴まれてフィーネはバランスを崩した。
スパーダにぶつかるすんでのところで、手をついた。

「何があってもオレはお前を信じてる。だからお前もオレを信じてくれ」
「……急にどうしたんだよ」
「オレはお前に、とんでもねぇことさせてんじゃねぇかってたまに思うんだ。無理をさせてんじゃねぇかって」

ズキリ、と。刃物に刺されたような感覚だ。
スパーダの瞳が一心に自分を見つめる。
そうだ。自分は。

「オレとお前の仲だ。嫌なことや苦しいことがあればなんでも言ってくれ」
「スパーダ……」

言えるわけがない。言ったら全て。

「わかった。そのときには言うよ。でも今は大丈夫だ」
「……だったら、だったらなんで」

消えてなくなってしまう。

「そんな、苦しそうなツラ……してんだよ」

スパーダの隣。それが自分の場所。
今だって消えそうだ、なんて女々しいこと考えてるっていうのに。
ルカやイリアはいいやつだって、よくわかっているのに。

「私……は……」

喉がカラカラだ。

「お前を失うのが……怖いよ」

すぐ傍にあるスパーダの目が大きく見開く。
馬鹿野郎、とつぶやくように聞こえた。

「いくらオレがデュランダルでも、前世でお前とは縁だけだったとしても、そんなことは全然関係ねえよ」

何も言っていないのに、どうしてここまで考えていることが伝わるんだろう。
どうしてここまで、欲しい答えをくれるんだろう。
いつだって、お前は。

なんで気づかなかったんだろう。
10年以上一緒にいて、感づかないはずなんてないのに。
臆病な自分を、ずっとスパーダは。

「フィーネ……?」

胸囲に固く固く巻いていた晒布を服の上からずり下ろした。
スパーダの手を掴み、襟元から胸へと移動させる。

「なっ……!?」

それで、スパーダにこちらの答えを知らせるのには十分だった。
スパーダは顔を赤くして、すぐに手を引っ込める。

「…………そ、そこまでしろとは……いや、おいしかったけどよ……」
「…………悪い」

暫くの沈黙。
口火を切ったのは、スパーダだった。

「……やっと、教えてくれたな」
「えっ?」

顔を上げる。

「ヒミツを共有してこそ、本当のダチだぜ」
「ダチ……またそう、呼んでくれるのか」
「またもなにも、ずっとダチだろ」

スパーダは息を吸い込んだ。

「気付くの遅くなっちまってゴメンな。せめてオレの前だけでも肩肘貼る必要はねぇぜ」
「スパーダ……」
「っと、もう寝るか! 明日もはえーだろうし」
「……あぁ」

フィーネもその場で横になる。
空には、無数の星がまたたいている。
目を閉じる。
今まで重くのしかかっていたものが、スッと消えていくような気がした。

「明日もオレの背中よろしくな」

そうスパーダの声が聞こえて、目を開ける。
横で彼がニッと笑っていた。

「勿論。私の背中も預けよう」
「おう。まかしとけ」

長い年月を経て、ようやく。
硬い殻が壊れたような気がした。