chapter3. 消えたモノと残ったモノ
家の扉を開け、姉崎を下ろしてやる。
姉崎は新鮮なものをみたようにきょろきょろ見ながら進んでいく。
実際、何度も来てるだろうが。
「…どした」
ベッドの前で姉崎はぴたりと止まり、よじ登ろうと四苦八苦している。
手を貸してやると嬉しそうにベッドの上を飛び跳ねた。
「お兄ちゃんのベッド広いねー」
「おー…ぐちゃぐちゃにすんなよ」
俺は鞄をおろし、肩を回した。
…さぁ、本題に入らなきゃな。
俺はベッドに座ると、姉崎は跳ねるのを止め、俺の隣に座る。
「何であそこで泣いてた?」
「あそこ?……お兄ちゃんに会ったとこ?」
「おー」
姉崎は少し考え、俺の指を小さな手で握った。
「…わかんない。きづいたらあそこに居たの」
…ダメだ。
埒があかねぇ。
こいつが俺のことを知らねえところを見ると、ただ単に身体が小さくなったんじ ゃねぇ。
記憶がねぇんだ。
―――――記憶。
「…セナを知ってるか?」
姉崎の瞳が大きくなった。
「お兄ちゃん、セナを知ってるの?」
「おー。よーく知ってるぞ」
………元に戻ったお前でも知らないこともな。
つまり、だ。
こいつは記憶ごと小せえ時に戻った。
糞チビに出会ったくらいの歳。
これから先、何が起こるかわからねえゼロに戻ったんだ。
「ねっ、セナ元気?いじめられたりとかしてない?」
糞チビの名前を出した途端、姉崎は頬を高揚させ嬉しそうに話してきた。
「…元気だ。いじめられてはいないだろ。多少蹴りを入れられることはあっても な」
なんだかおもしろくねえ。
糞チビのこと意気揚々と話しやがって。
俺のことなんざ少しも覚えちゃいねえのに。
…今のこいつのなかじゃ、俺はただの。
「セナが好きか?」
「うん、好きっ」
心底嬉しそうな顔をする。
今、それが憎らしい。
「…俺は?」
「お兄…ちゃん…?」
先ほどと違い、困惑した顔。
そりゃそうだとわかりきってるはずだ。
だが、俺は俺自身を止められなかった。
「やっ…お兄っ」
言い終わるより早く、俺は姉崎に口づけていた。
強ばる唇に、強引に舌を入れる。
いつもとは違う。
こいつは、俺の知らない『姉崎』だ。
唇を離すと姉崎は大きく息を吸い込んだ。
目には涙が溜まっている。
脅える青い瞳。
…どうしようもねえ。
俺は今、こいつとはただの他人だと再確認させられる。
俺は立ち上がった。
「飯作ってやるから待ってろ」
ドアを閉め、ずるずると座り込んだ。
不覚だ。
とてつもなく、胸が苦しい。