不動峰と青学テニス部の合宿。
にぎわう合宿所に貴方が居ないことに気がついた。
「モモシロくん!」
慣れない他校の敷地内をうろうろして、テニスコートの前まで来ると探していたツンツン頭を見つけた。
「おー、橘妹。どうした?」
「モモシロくんが居なかったから探しに来ちゃった」
未だに名前を呼んでくれないことにムッとする私に向かい、いつものようににかっと笑う彼が手に持っていたのは、シャンプーとタオル。
なんだか意外で、まじまじとそれを見つめてしまった。
「・・・・・・何だよ?」
私の考えていることが何となくわかったらしく、彼は怪訝そうな顔をした。
「髪の毛、洗うんだ?」
「当たり前だろ?ワックスついたまま寝たら明日の朝、とんでも無いことになるし。第一気持ち悪い」
頭がバクハツしたモモシロくんを想像して、私は少し笑ってしまった。
「洗ったげようか?」
何となくそんなことを言ってみた。
すると彼は一瞬びっくりして、笑った。
「じゃぁ、お願いしますか」
コートの傍の水飲み場。
蛇口をひねり、モモシロくんは頭に水をかけた。
「あー、きもちー」
暑い夏の夜、水はとても良い清涼剤。
私は側に置かれたシャンプーに手を伸ばし、2,3回プッシュしてそれを泡立てた。
「うわー。結構ワックス、ついてんのね」
まだシャンプーを付けてもないのに、髪から水と共に流れる泡。
それはまさしくワックスなワケで。
「でなきゃ、あんなに立たねぇって」
水を流したまま、モモシロくんは少し身を引いた。
私は彼の頭に触れる。
いつもとは違う、でも好きなヒトの髪の感触。
後頭部から横へ手を動かしていく。
「気持ちいい?」
「あぁ。杏がやってくれるからよけいに」
横から顔をのぞき込むとモモシロくんは目をつぶりながらも少し笑っていて。
それがとても嬉しくて思わず顔がゆるむ。
「流していい?」
「あぁ」
再び、水を頭にかけ、泡を洗い流していく。
いつも堅い髪が、今は柔らかい。
何だか不思議な感じだ。
流し終わり、私は水を止め、タオルを手に取った。
優しく彼の頭をふく。水滴が拭き取られ、更に柔らかくなる。
「お前も洗ってやろうか」
不意な言葉に少し驚く。
「えっ」
「洗ってやるよ」
「・・・・・・・うんっ」
私は付けていたピンをはずし、蛇口の下に頭を突っ込んだ。
「流すぜ~」
「ひゃっ」
彼の声と共に流れ始めた水。
外気温とははるかに違うそれは、ひんやりして気持ちよい。
しばらくして水は止まり、濡れて少し重くなった髪にモモシロくんの手の感触。
小刻みな動きが心地よい。
「お前、全然気づいてないよな」
吹き出し気味で彼が言った。
「何が?」
嬉しすぎて、気持ちよくて。
遠のきそうな意識を呼び戻し、私は答えた。
「俺、さっきお前の名前呼んだのに」
「えっ?」
突然すぎて、全く気づかなかったらしい。
彼が私の名前を。
私の大好きなその独特な声で。
「きっ、聞いてなかった!!」
「のわっ! 動くなって。 あ~ぁ。惜しいことしたな~、橘妹」
「私は“杏”っていう・・・!」
「可愛い名前があるんだろ?」
へへっ、とまたモモシロくんが笑った。
ムッとしながらも私は目を閉じた。
モモシロくんの体温で少し暖かく感じていた頭の熱も流れ出す水に、泡と共に流れていった。
「はいよ、タオル。俺が拭いたあとだから湿ってるけど」
「・・・ありがと」
さっきのことで釈然としてなかったはずなのに。
彼自身を象徴するかのように立ち上がっていた髪を下ろしたモモシロくんは、何だか不思議な感じがして。
それを見たら、名前のことなんかもう気にしていない自分が居た。
「新鮮だね、そういうのも」
「そうかぁ?」
かっこわりぃだろ、と彼はまたまた笑う。
この笑顔、私はとても好きなんだ。
「さてと。そろそろ戻るか。早くしねぇと部長に怒られるだろうし」
「・・私もお兄ちゃんに怒られちゃうかも」
「ほらいくぞ、“杏”」
私の大好きなその声で。
その笑顔で。
貴方で。
「・・・・うんっ」
差し出された手に自分の手を重ねる。
合宿所までの道のり。
繋がれた手と手。
貴方の笑顔と満たされた私のキモチ。