届かない花

「神尾くーんっ」
「あっ、杏ちゃん…って、わっ!」

校舎から、俺の居るテニスコート前へと走ってきた杏ちゃんは、俺の前に来ても速度を落とさず、そのまま俺に抱きついた。

「あははははっ、びっくりした?」

そう言って笑う杏ちゃんにドギマギしながら、俺は何度も頷いた。

「うんうん、その反応を楽しみにしてるのよ。誰かさんは普通に抱きしめてくれちゃうのよね」

その誰かさん。
橘さんでも深司でも、もちろん真っ赤になった俺でもない。
青学の曲者、桃城武のことだ。
俺は杏ちゃんに片想いをしている。
それは彼女に届いていなくて、きっとこれからも届くことはなくて。
それはたぶん、杏ちゃんが桃城に恋しているから。
桃城も杏ちゃんに恋しているから。
証拠なんてないんだけど、何となくそうなんだろうと考えてしまうのだ。
こうして俺を抱きしめている杏ちゃんは、俺が知らない、ぜんぜん違う顔であいつを抱きしめるんだろう。
俺は一度ぎゅっと杏ちゃんを抱きしめ、彼女の背中をぱんぱんと軽く叩いた。
………自分自身を慰めるように。

「俺だっていつまでもひっかかると思っちゃだめだよ?」

苦しくて、苦しくて、でも笑って。
俺は今日も自分の想いを隠す。

「えーっ。じゃあ、忘れた頃にやっちゃおっかな」

またにっこりして、杏ちゃんは俺から離れた。
心地よく、心苦しかったぬくもりはもう残っていなかった。

「今度のターゲットは兄さんよっ」

そうやって君は、笑顔を振りまく。
そうして俺はまた、君から抜け出せなくなる。
この想いはぐるぐる回って、消えることはなく。
俺は、遠ざかる決して届かない花を、ずっと見ていた。