「またおとり捜査ですか?」
郁は半ば呆れるような声を上げた。
以前、毬江のためにと意気込んで勝手出た痴漢のおとり捜査。
それ以降、成果に満足した玄田は、こうして度々郁に痴漢撲滅の任務を命ずる。
確かに不埒な人間は郁としても蹴り飛ばして締め上げたい。
けれど毎度ながら、あの自分の尻や太ももに触れられる感覚はおぞましくて好きではない。
「図書特殊部隊の一員という優秀な人材にして、唯一の女性隊員だ。お前しか適任はおるまい」
自分の身は自分で守れる人間だから、という意味を込めているのだろう。
玄田は鼻息荒く声を発した。
「いいな、堂上」
念を押されたのが、自分ではないことに郁は目をパチパチさせた。
隣にいる上官であり恋人でもある堂上を見ると、彼は苦虫を噛み潰したような表情で玄田を見ていた。
(……前は即、使いましょうだの、餌は各種取り揃えるべき、なんて言ってたのに……)
恋人として感情を露にしてくれてるんだ。
そう思えたら、なんだか嬉しくてたまらなかった。
「笠原、やります! 図書館内の痴漢を全て滅亡させます!!」
敬礼しながら勢い良く答えると、玄田は満足そうに笑い、堂上は忌々しそうにため息をついた。
背後から小牧の笑い声も聞こえたが、郁のやる気はますます上昇するばかりだった。
「ホント、減らないね。次から次へと」
小牧はそう言って、いつものビールをぐいっと喉に流し込んだ。
向かいの堂上を見れば、不機嫌の極みのような顔で4本目の缶を開けようとしているところだった。
「……全くだ。またアイツに嫌な思いをさせる」
プシュッと気持ちのいい音がして、こぼれそうになる泡をすする。
彼の部屋に来て正解だった、と小牧は思った。
愚痴をこぼせば、少し気もまぎれる。
愛しい毬江が、図書館内で痴漢に遭った日のことを思い出した。
近くにいられなかったことを悔やんだ。
自分の大事な人に触れられたことに怒りがわいた。
酷く傷つけられたことに憤った。
わざわざ痴漢を煽る真似を、むしろ触られた方が好都合という状況に恋人を向かわせることがどんなに辛いだろうか。
「ちゃんとフォローしてあげてよ。作戦中だけでなく、心のケアもね」
「お前に言われずとも……わかっている」
苛立った声を上げて、堂上は開けたばかりのそれを一気に飲み干した。
━━━━あまりこの話題を長引かせるのはよそう。
小牧は今日あった出来事に思いを巡らせた。
そういえば、と口を開いた。
「今日、堂上に来客があったな」
「……なんだ。聞いてないぞ」
「堂上、外の巡回中だったからね。すぐには出られないことを伝えたら、じゃあいいですってそのまま帰っていったよ」
堂上が眉間に皺を寄せて怪訝そうな顔をした。
「僕らと同年代くらいの女の人」
更に皺が深くなった。
思い当たる節がないのか、いろいろ思い倦ねている様子だ。
「どんな人だった」
「髪の長さは……柴崎さんくらいかな。でも、ふわふわウェーブしている感じで。雰囲気は、そうだな。毬江ちゃんに近いかな」
「……」
ハッとしたような顔をして、堂上は空になったビール缶を握りつぶした。
「やっぱり知っている人?」
堂上は言葉を探して一言。
「……昔馴染みだ」
とつぶやいた。
━━━━ワケあり、か。
堂上の様子に小牧はピンと来た。
だてに長い付き合いではない。
「今度来たら通す?」
一応、そう述べた。堂上ともう一人を気遣えば、の問いだ。
そのもう一人を思えば、断ってくれた方がいい。けれど。
「ああ、頼む」
━━━━堂上は、そう言うだろうね。
「了解。業務部にも連絡しておくよ」
答えて、小牧も手元のビールを空けるべく飲み始めた。
少し開いた窓から流れ込む夜風は、まだ肌寒かった。