「カ・ン・ペ・キ! これで振り向かない男なんていないわ!」
本部の堂上班を前に、柴崎が満面の笑みで郁の背中を押した。
図書館に寄せられた、大人しそうな女性を狙う、という手口から、柴崎が行ったチョイスは、胸元にワンポイントのリボンがある清楚なベージュの無地のカットソーに黒の柔らかいスカート。
短すぎない絶妙な長さで、笠原の長い足がよく映えるようにしている。
生足のほうが私の好みなんだけど、などと言いながら、『大人しそう』という特徴を重視して、肌の色に近いストッキングを起用した。
髪型はウィッグを使って、見ただけで活発な郁の印象を和らげており、ふんわり感にプラスして細めのカチューシャが添えられている。
もちろん化粧にも一切のブレは無い。
「笠原さん、素敵だよ。いつもの元気な感じもいいけど、こういった風も似合うんだね」
一番に言ってくれたのは小牧だ。
照れながら、礼をする。
手塚は以前と同様に目を白黒させて、何故猿がこうなる……と呟いているし、玄田は愉快そうに笑っている。
堂上は、と目線を動かした。
と、彼は目を合わせないように反らした。
なんだか少しムッとする。
(何か言ってくれても良いのに!)
自分でも見違えるほどなのだから、小牧ほどでないにしろ、一言二言あったって良い。
「心配でしょうがないのよ。わかってあげなさい」
郁の様子を見て、柴崎が耳元で囁いた。
乗り気でないのは知っている。
それでも、可愛い格好をしているときには声をかけて欲しいと願ってしまうのは乙女心だ。
(せめて……)
せめて、頑張ってこいと背中を押してくれたなら。
それで心も晴れるのに。
あの時は意気込んだものの、気が滅入るのは確かだ。
「それでは各自休憩を入れて、決行は、目撃情報から鑑みて、一四〇〇からとする。笠原、気合いを入れろよ」
「はい!」
玄田の声に背筋を伸ばして敬礼する。
いよいよだ。ひとつ深呼吸した。
「それと、堂上」
「……はい」
呼ばれ、堂上も姿勢を正した。
「お前は巡回に加われ。向こうの班の人手が足りん。小牧と手塚は、笠原から目を離すな。いいな」
「!」
堂上が作戦から外された。
班員全員が息を飲む。
「そんな! 堂上二正は班長ですよ!? 作戦に参加しないなど……っ」
反論する手塚を柴崎が抑えた。
仕方ない、と言うかのように頭を振る。
ぽんっと、堂上の肩に玄田が手を置き、短く何かを呟いてすぐに離れた。
「……了解、しました」
堂上が答えると、すまんな、と玄田が小さく答えた。
「では、一旦解散!」
豪快だが凛とした声が響き、玄田は本部から退室していった。
それを見て、手塚が悔しそうに絞り出す。
「納得できません。どうして堂上二正が外されるんです!? 班長を外すなんてどうかしている」
「通常ならね。でも、今はそうじゃないから」
小牧は堂上のそばに寄って、他の誰にも聞こえないように声を低くした。
「公私混同して冷静な対処ができない恐れがあると、判断されたんだね」
「……やむを得ん。自分が隊長の立場ならそうするだろう」
そう思わせてしまったのは自分だ、と。
言おうとした言葉を飲み込んだ。
小牧が堂上の背を叩く。
正論。
それ以上小牧が言わないのは、正論だからだ。
グッと下唇を噛んだ。
「はいはーい! 手塚、ご飯いきましょ? 小牧教官も如何ですか?」
重い空気を弾け飛ばすかのように明るく、柴崎が言う。
「はあ? 笠原といけばいいだろ? どうして俺が」
「手塚君。柴崎さん、ご一緒しよう。女性とランチなのに食堂ですまないね」
「いーえっ! 教官が一緒ならどこでも。じゃあ、笠原。がんばってね!」
柴崎と小牧に引きずられるようにして、手塚も本部をあとにした。
残されたのは、郁と堂上だ。
━━━━班長を外すなんてどうかしている。
手塚の言葉がフラッシュバックする。
なんて声をかけたら良いんだろう。
今は通常でないと、小牧が言った。
それは、どういうことなんだろう。
ぐるぐる考えれば考えるほど、答えは出てこなくて静寂に焦るばかりだ。
服装を褒めて欲しい、などという甘い気持ちはどこかへ飛んでいってしまっていた。
「…………昼はどうするつもりだ」
「へあっ!?」
急に話しかけられて郁の口からおかしな声が出た。
振り返ると堂上だ。
今の郁の反応に不機嫌が一割追加されたことは間違いない。
「え……えと……あまり食べる気にもなれないし……その、この格好でフラフラするのもなーっと……」
しどろもどろで答える。
何故自分がこうも気まずい気持ちにならなきゃいけないんだろう。
「……なら、付き合え」
「えっ!?」
ぐいっと、手を引かれた。
堂上はそのまま歩き出す。
「どっ、堂上教官!?」
「黙ってついてこい!」
有無を言わさぬその言葉通りに押し黙った。
履き慣れないパンプスで突っかかりながら、連れてこられたのはひと気の無い会議室だった。
「ひゃっ!?」
入るなり、郁は強い力で抱きしめられた。
2人の間に一ミリも隙間は許さないとばかりの抱擁だった。
「堂上……教官?」
気づけば口の中はカラカラに乾いていて、名前を呼ぶもかすれていた。
「……上官としては、労いの言葉を持って戦地に送り出すべきだが」
肩越しに囁かれ、それはちょうど郁の耳をくすぐった。
「どうしても言ってやれない。どこぞの輩に色目を使えなどと、俺からどうして言える」
絞り出すように堂上は言った。
仕事に誇りを持ち続け、ルールや規律を尊重する堂上が。
自分のために公私で揺れている。
柴崎曰く、鈍いの代名詞である郁でもわかった。
「郁」
呼ばれてドキッとした。
彼が涙を流したところなど一度も見たことがないのに、何故か泣いてしまいそうに思えた。
それほど、堂上の声音は震えていた。
「前にお前を無理矢理外したことがあったが━━」
小田原のときのことだ。
そっと、堂上が体を離して、いつもより少し高くなった郁の顔を見上げた。
「意に介さない人事がこれほど辛いとは思わなかった。……すまない」
その謝罪が、小田原のときのことか、今のことか、どちらのものかがわからなかった。
あるいは両方のことなのかもしれない。
いつもまっすぐ前を見ている顔が、弱々しく自分を見つめている。
目頭がじんわりと熱くなった。
「……アホウ。せっかく綺麗にしたのに泣くヤツがあるか」
ああ、なんでこんなときに綺麗とか言うかな。
「教官がそんな顔するから……っ」
自分のために苦しんでくれているのがわかるから。
嫌だ、やめろという言葉を必死で抑えてくれているのがわかるから。
「……終わってからにしろ。それならいくらでも泣いていい」
「教官も……泣いていいんです……よ?」
「……アホか、貴様」
また抱きしめられた。
本当は顔を埋めて泣きじゃくりたいのを堪える。
今泣いたら、全てが台無しだ。
「……それでも、あたし」
「ん?」
「やっぱり教官に“行ってこい”って言われたいです。教官があたしを信頼してくれてる、見ててくれてるって思えるから」
郁は堂上の制服をかるく握った。
「お願いします……」
堂上は少し驚いたような表情を浮かべて、少し思案した後、右手を郁に伸ばした。
「……少しかがめ」
言われたように腰を低くする。
すぐにふわりと彼の手が降りてきた。
「行ってこい。終わったら……覚悟しろ」
いつものように少し撫でて親指でクシュクシュっと弄んで。
「覚悟って……なんの?」
「それは……っ、……言わせるな、アホウ」
真っ赤な顔をして、堂上は決まりが悪そうに視線を反らした。