すれ違い - 3/4

作戦開始から一時間が過ぎようとしていた。
目撃情報から照らし合わせた、やや長い黒髪、セミオート型フレームの眼鏡に大きなボストンバッグ、やや小太りなる人物はまだ現れる気配がない。

(場所を変えたほうがいいかな……)

あまり人が寄らない、百科事典のブースでいろいろと読んで様子を伺ってみたものの、そろそろ限界に思えてきた。
開いていた本を閉じようとした瞬間だった。
━━━━来た。
一気に緊張が高まった。
郁の背後から、熱い息づかいが聞こえてくる。
床に置かれたボストンバッグ。
これは毬江のときと同じようにカメラが仕込まれているに違いない。
ああ、なんで揃いも揃って同じような手口なんだろう。
少し身じろぎするように横にずれる。
けれど、その男は郁に合わせて体を動かした。
ゾクッと、身震いした。
何度感じても慣れない、慣れたくもない感触だった。
男の手が郁の臀部に触れた。

「ちょっ……」

小さく言葉を発した。
相手の顔を拝もうと身を捩った郁の目に飛び込んできたのは、痴漢の正体ではなく。

(堂上……教官……?)

男の遥か背後、けれど見間違えるはずはない。
その堂上に、見たことも無い女性が抱きつく瞬間だった。

「そんな……」

それは一瞬。けれどその一瞬が郁を動揺させた。
ピッ……!
小さな音がして、ストッキングを破られる。
そして。

「やっ……!?」

男のウインナーのような太い指が郁の弱い場所に這い寄って。

「っ、抑えろ!!!!」

どなるような声にハッとした。
これは小牧だ。
爆ぜるように飛び出した手塚が男を捉える。
両手両足をばたつかせて抵抗したが、無駄は明らかだった。

「大丈夫!? 笠原さん!」
「あっ……」

自分でも驚くほど弱々しい声を上げて郁は小牧を見上げた。
そこでやっと自分がへたり込んでいることに気づいた。
……こんなにも情けなく。

「堂上に連絡……っ」
「待って!!」

無線を入れようとする小牧の腕に縋り付いた。

「……堂上教官には……伝えないで下さい。あたしのこと」
「お願いしますっ! 心配かけたくないんです……っ!」

嘘をついた。
本当は真っ先に飛んできて欲しかった。
抱きしめて欲しかった。
あの暖かい胸に。
こんなに騒ぎが大きくなって、あれほど近くにいたのなら堂上がやってこないはずがない。
来なかったのはきっと、彼があの女の人とどこかへ向かったからなのだろう。
床にポタポタとしずくが落ちた。
2人がいた場所をもう一度見返す勇気もなく。

「…………努力する」

それが正論をモットーとする小牧の精一杯の言葉だろう。
静かに小牧の手が頭に降ってきて、郁は声を押し殺して泣いた。